2015-07-21

歴史的意義の大転換にあるスポーツのCM

ひさしぶりのポスト。
私的スポーツメーカーCMベスト5。


第5位 Nike Soccer Brazil National team "Airport Football"




1998年サッカーブラジル代表。'97にフォワードにロナウドとロマーリオ、中盤にレオナルドとドゥンガ、両サイドバックにロベカルとカフーを擁して世界最強と言われ満を持してW杯フランス大会に臨むチーム。

とにかく強さが喧伝される中でオンエアされたこのコマーシャル。

メインにフィーチャーされているのが、圧倒的才能で破竹の勢いで台頭してきたロナウド。ロマーリオの怪我もあり、結局98年ブラジルチームはロナウドのチームになる。

そのブラジルの強さを技術や才能ではなくサッカーを楽しんでいるからだ、というメッセージを悪ガキ然としたロナウドのキャラクターとうまく重ね合わせて表現した一本。

スポーツの原点は楽しむことということをロナウドとTamba Trioの演奏するMas Que Nadaで見事に表現。Mas Que Nadaの冒頭の歌詞、

Mas Que Nada, Sai da minha frente que er quero passar,
Pois o samba esta animado o que eu quero e sambar
(ねえ、そこをどいてよ。通りたいのよ。
 サンバは最高なんだから。私はサンバを踊りたいだけなのよ)

退屈して遊びだすロナウドたちを制止しようと立ちはだかったガードマンからボールを奪った瞬間にボーカルに入る。サンバを踊るようにボールと戯れるブラジルチームが見ていて楽しい。

これから始まるW杯に向けてわくわくさせてくれ、スポーツの楽しさを再認識させてくれた一本。



第4位 Adidas Muhammad Ali "Impossible is Nothing"



スポーツは日々進化している。道具や戦術の進歩もあり、10年以上前の選手が現在のトップ選手に勝つことはかなり難しい。

でもそれは過去のアスリートが時代遅れのものになってしまったということではない。忘れ去れていくだけのアスリートもいる中、あまりにも重要すぎて忘れることが不可能なアスリートもいる。

Muhammad Aliは間違いなくその筆頭格だ。

彼はボクサーとしてもヘビー級の世界に革命をもたらしただけでなく、公民権運動の嵐が吹き荒れる時代をアフリカ系アメリカ人の代表として戦い、ベトナム戦争というアメリカ的独善に対して政治的な存在としても闘争を怠らなかった(アリが良心的兵役拒否で逮捕されていることを知らない日本人は多い)。

そんな20世紀最高のアスリートに対するリスペクトをスポーツ界は忘れてはいけない。
そしてこのCMはAliに対するリスペクトに満ち溢れている。

1990年代後半にAdidasが世界的に展開した"Impossible is Nothing"のキャンペーン、このスローガン実はAliの言葉なのだ。

“Impossible is just a big word thrown around by small men who find it easier to live in the world they've been given than to explore the power they have to change it. Impossible is not a fact. It's an opinion. Impossible is not a declaration. It's a dare. Impossible is potential. Impossible is temporary. Impossible is nothing.” 
― Muhammad Ali

「不可能という言葉は、力を爆発させて世界を変えることよりも、与えられた世界の中で安易に生きていくのを良しとするチンケな男にとって便利なものでしかない。不可能というのは変えられない事実なんかじゃない。意見にすぎない。不可能は決めつけられるものじゃない。挑戦だ。不可能は未来の可能性だ。不可能は一時的なものでしかない。不可能なんてクソくらえだ!」

これがスローガンの引用元だ。
この時期中国のあるスポーツメーカーが「Nothing is Impossible」というコピーを使っていたのをみたが、こちらの本家と比べるとまったくもって薄っぺらで、それこそクソだった。

夜明けの一本道、アリに鼓舞されるアスリートの集団がゆっくりとジョグしている。まとまって走っているけれども、彼らはチームという雰囲気を醸し出していない。一人ひとりがどこか内省的だ。

ナレーションは
"Some people listen to themselves rather then listen to what other say, these people don't come along very often but when they do they remind us that once you set up in a path, even though critics may doubt you, its okay to believe that there is no can't, won't or impossible they remind us it's okay to believe... impossible is nothing"

どこまでも静かに続くこの映像を観て視聴者は突然気づく。
「あれ、ベッカム?ジダン?イアン・ソープ?ライラ・アリ?」

Impossible is nothing.


muhammed ali,his doughter laila,david beckham,zinedine zidane,tracy mcgrady,haile gebreselassie and ian thorpe are in this amazing spot

第3位 Mizuno Spud Webb 「小さかったら高く跳べ」


たしか1980年代終盤の作品。MizunoのRunbirdだったと思うが、この動画はどこを探しても見つからなかった。仕方がないのでフィーチャーされていたSpud Webbの活躍するビデオを。



Spud Webbは170cmもないと言われながら、NBAでスターになった選手。ただしそのサイズでもダンクシュートはできた。

CMはとてもシンプルなものだった。
Webbの身長が低いことが表現され(その方法の詳細は忘れた)、次に「小さかったら」とナレーションが入り、Webbがドリブルから踏切り「高く跳べ」とナレーションが入りダンクを決める。

当時はまだCMの作り手事情とか何も知らない一運動部の学生だった。
それでも、いやだからこそ「小さかったら高く跳べ」というシンプルなメッセージは力強く僕に刺さった。そしてWebbのダンクの圧倒的説得力がそのコピーを力強く後押しした。

四半世紀以上前にただの学生という立場で観たことがあるだけなので、クオリティーの詳細は覚えてないけれども、生涯ベストの中に入れざるを得ないインパクトを僕に与えてくれた。


第2位 Nike  Michael Jordan "Failure"




NikeのCMだけで、ベスト5はおろかベスト10でも20でも選べる。
その中AdidasがMuhammad Ali抜きにアスリートを語ることができなかったのと同じように、Michael Jordanを抜きにしたらNikeは何も語れない。

90年代のNikeの隆盛はMichael JordanとWieden & Kennedyとともにあったと言ってしまっていいだろう。

当時Wieden & Kennedyの作るNikeのCMは他の追随を許さないカッコよさを見せつけていた。

そのカッコよさはもちろん演出によるところもあったが、もっと本質的なことを言うと彼らはアスリートの見せ方を根本的に変えてしまったのだ。

それまではすごいアスリートのカッコいいプレーを見せていた。カッコいいプレーを見せることによって視聴者(=潜在的ユーザー)を高揚させていた。

しかしW&K が見せたのはカッコいいプレーそのものではなかった。彼らが見せたのはカッコいいプレーを実現するカッコいい人間の物語だった。

アスリートの憧れとなるようなカッコいい人間の、カッコいいハートが憧れの対象になった。

そしてそのカッコいいアスリートの最高峰にいたのがMichael Jordanだった。彼はコートの中では「神」だった。そしてAir Jordanブームを巻き起こして商業的にも「神」になった。

その絶対的な「神」が自身の「失敗(failure)」について語る本作。

動的なカッコよさはないどころか一切のバスケシーンがないにも関わらず、最後にJordanが"And that is why I succeed"と言う瞬間に全身の血が沸き、『ロッキー』を観た後と同じように練習がしたくなる。

Nike x MJ x W&K 三つの時代のトップランナーが適切な時期に出会うことによって生まれた奇跡的な一本だ。

I've missed more than 9000 shots in my career. 
I've lost almost 300 games. 
26 times, I've been trusted to take the game 
winning shot and missed. 

I've failed over and over and over again in my life. 

And that is why I succeed.


第1位 Under Armour Misty Copeland "I WILL WHAT I WANT"




さていよいよ1位。

実はこの企画を上げようとと思ったのはこのコマーシャルがあったからだ。
といっても恐らく日本ではOAされていないのでちょっと説明が必要かも知れない。

フィーチャーされているアスリートはMisty Copeland。世界最高峰のバレエ団、アメリカン・バレエ・シアターでアフリカ系アメリカ人として初めてプリンシパルに抜擢された女性。

冒頭で流れるナレーションは、13才の時彼女がバレエ団に応募した際受け取った落選の手紙だ。

いわく体型が相応しくないとか、13才から始めるのでは遅すぎるとか。

続いて彼女の圧倒的にアスレチックで美しい舞を見せられ、最後に自信に満ちたミスティーの表情とともにキャンペーンのスローガン"I WILL WHAT I WANT"のキャプションが入る。

文句なくカッコいい。でもこれがなぜ僕らを魅了し続けたNikeの一連のCMを抑えて1位なのかという疑問があるかも知れない。

正直言おう。印象的なスポーツメーカーのCMを考えて思い浮かんだのはNikeのものばかりだった。

先にも述べたとおり、Nikeがスポーツブランドとしても、Wieden & Kennedy とタグを組んで作った一連のCM主としても圧倒的な一時代を築いたが、それは僕自身がスポーツに明け暮れていた時期と一致していた。

でもここに来て明らかにその時代が更新されている。その最も象徴的な一本が本作なのだ。最早個人的ノスタルジーとは別次元の話としてこれを1位にせざるを得ない。

ブランドはUnder Armour。キャンペーンは"I WILL WHAT I WANT"。

Under Armourはそのウェアにおいてはアスリートオリエンテッドの高性能な商品を提供してきたものの、スポーツメーカーとしてはどうしても後発で用品開発においても後追いにならざるを得なかった。

そうした中、躍進をするにはマーケティングに重きをおくしかない。そのUAがパートナーに選んだのがDroga5だ。

"I WILL WHAT I WANT"のキャンペーンは、日本ではモデルのGisele Bubdchenを起用してカンヌのサイバーグランプリを受賞した作品の方が有名かも知れないが、Misty Copeland を登用した本作の持つ意義の決定的な大きさには及ばない。

それはこのコマーシャルが現代におけるスポーツの意義を再定義したものだからだ。

いや、もう少し正確に言うとスポーツの意義を再定義した"I WILL WHAT I WANT"のキャンペーンのローンチとなったからだ。

言うまでもなくスポーツは今や巨大ビジネスだ。その大きな起点になったのは1984年のロサンゼルスオリンピックだった。

以後スポーツの商業化は進みアメリカではNFL、NBA、MLBとプロスポーツビジネスが高度に発展し、オリンピックやW杯もそれに追随して大きなビジネスとなっていった。

その原動力となったのはMichael Jordanを始めとしたスターアスリートたちだった。超人的能力を見せ、異形として人々の憧れとなった。

その中心にはアメリカがいた。世界中がアメリカに憧れた。
1992年のアトランタ五輪のバスケのアメリカ大陸予選。その頃低迷していたアメリカがNBAの選手を投入し圧倒的な実力差を見せつけた。対戦相手は腐るどころか、憧れのMichael Jordan、Magic Johnson、Karl Maloneと同じコートに立っていることに興奮し、試合中にサイドラインから写真を撮っていた。

その輝きはスポーツだけではなく、映画や音楽などのエンターテイメントもすべてがアメリカの独壇場だった。

クリントン政権の重鎮、ジョセフ・ナイハーバード大学教授は、その影響力を「ソフトパワー」と呼んだ。ベルリンの壁が崩れたのはソフトパワーの力だと説いた。

しかし、そのスターモデルは今日アメリカ的ソフトパワーの凋落とともに明らかに綻びを見せ始めている。

もっと言ってしまうと、アメリカが体現してきた資本主義という価値観とともに地盤沈下し始めている。

21世紀に入りG.W.Bushが大統領になり、道理の通らないイラク戦争を始めた辺りから明らかにアメリカの神通力は低下していった。

911は、逆説的ではあるけれども、アメリカを圧倒的な超大国たらしめていた冷戦構造が完全に終焉していることを確認させてくれた。

リーマンショックは資本主義社会が一つの限界に近づきつつあることを露呈した。

アメリカはベトナム戦争で無邪気さを失ったかのようにも見えたが、その後冷戦構造がもたらした繁栄を無邪気に貪ることができた。

しかしその繁栄はゆっくりと致命的に損なわれてきている。無邪気でいられない時代が再び訪れ、ハリウッド映画さえ単純な勧善懲悪に終わらなくなった。

では無邪気さの上に高みを極めたスポーツはどうだろうか?

超人的スポーツ選手は相変わらず僕らを魅了している。ビッグスポーツイベントの前には僕らはテレビの前に噛りつき固唾を飲んで見守る。

しかし同時に冷めた目も増えてきている。誰もが手放しで東京オリンピックの開催を喜んでいるわけではない。国別対抗戦に政治家の国威発揚への色気を嗅ぎ取り鼻白む人もいる。

ではスポーツは死んだのか?

もちろん死んでいない。依然人々を魅了するビッグビジネスだ。人々はコロッセオの闘いに熱狂し続けている。しかし同時にスポーツはコロッセオの中を飛び出してもいる。

異形の超人のものから、市井の民のものへと広がっている。
猫も杓子もランニングをし、『Number』の美文調から、自ら体を動かすための『Number Do』のインストラクション調に移ろっている。

スポーツは僕ら一般人の手に戻ってきた。いわゆるアスリート以外の人がスポーツの重要な担い手になってきたのだ。

ではスポーツの主体となった僕らの憧れはどういう存在なのだろうか?
人々はなぜせっせと皇居の周りを走り、早起きしてヨガをするのだろうか。

それはよりよい自分になるためだ。

先進国の中では経済成長はもはや望めないと言われているのみならず、資本主義は早晩息詰まる運命にあると言われ、国民国家というアーキテクチャさえ限界をささやかれている。

確かなものが何もない中、信じられるもの。毎日走れば確実に痩せ、タイムも早くなる。
コツコツと続ければ確実にできるポーズが増えるヨガ。

前を向いていこうという人が、よりよい明日を目指した結果としてのスポーツ。

スポットライトと大観衆の声援を浴びたのとは違うスポーツが今重要性を増してきている。

そんな新アスリートにとってのロールモデルはどういう人なのだろう?

彼らは超人的な異形である必要はない。大切なのは彼らのパフォーマンスではなく、明日に向かって生きていく姿勢なのだ。

Charles BarkleyやDennis Rodmanのような問題児であってはいけない。政治的に正しい(PC)存在じゃなくてはいけない。

正しい姿勢で明日に向かっていき、そして鍛え上げられた体を通じて新しい世界を創造する人こそが新しい時代のスポーツのあこがれ像なのだ。その世界観にあてはまるなら、それがスポーツ選手である必要さえないのだ。

だからMisty Copeland。いまだ残された数少ない白人至上主義であるバレエの世界で、実力と反骨精神で世界の頂上まで昇りつめた彼女に勝る存在はいない。いくらGisele がVictoria Secret のモデルから世界最高峰に昇り詰め、Supermodelという言葉を再定義した存在であっても存在としての説得力はMistyに及ばない。

そしてMistyという最高の素材を、旧世界を象徴するrejection letterと圧倒的肉体的説得力を持つ彼女の舞で表現したこのCMはやはりエポックメーキングだ。Droga5による素晴らしい仕事とスポーツの新しい時代に対する理解と戦略を持ったUAに敬意をこめての第1位。


what's "my wife's camera"?

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