2012-08-13

韓国の選手のこと。



竹島問題の韓国サッカー選手の行動に対する為末大さんのTwitterが素晴らしかった。
その意見には賛同する。

でもここではちょっと違った観点でも考えたい。

件のパク・ジョンウ選手の行動は軽率で思慮にかけているということは間違いない。でもその行動は彼がオリンピックの精神とか歴史をきちんと理解していないから生じたとも考えられる。

今年40歳になる私はオリンピックが冷戦の主戦場になるのを見てきた。
モスクワ五輪のボイコット。ロス五輪の開幕のジェットエンジンによる空中浮揚。
「国の威信をかけて」という言葉が生々しさを持っていた。
それを体験した世代と知らない世代ではオリンピックにおける政治の持つ意味の重さは全然違うだろう。

昔は「オリンピックは参加することに意義がある」とよく言われた。幼い頃は文字通りに理解していたけれども、大人になるとそこに別の匂いを嗅ぎ取れる。そう思って調べてみるとやはりその言語は1908年のロンドン五輪でイギリスとアメリカの緊張関係が高まったときに出てきた言葉らしい。

しかしそれから1世紀経た同じ地で行われたオリンピックの日本での報道でそのフレーズを聞いた記憶がない。上の世代にはパク・ジョンウ選手の行動の愚昧さは直観できる。でもオリンピックと政治を結びつけることにピンとこない世代もいるのではないだろうか。

パク・ジョンウは23歳とのこと。
言葉は悪いがサッカーばかりやってきた若者に然るべき見識が身についていないというのは、彼岸の問題だけでもないだろう。

ならばオリンピックへの出場が決まった選手にはオリンピック憲章のエデュケーションがあってもいいのではないだろうか。

それからもうひとつ。

この事件はもちろん前日のイミュンバク大統領の竹島上陸が伏線となっている。
この行為自体は任期満了前の人気取り政策ということで品のない行為だとは思うが、同時にあれが一部の韓国の国家主義者を刺激してパク・ジョンウの事件につながったのは間違いない。

もう一度繰り返すと竹島上陸は下品なパフォーマンスだと思う。しかしイミュンバクの目論見が少なからず当たったという事実は見逃せない。

世界の外交戦場ではあれくらいのラフプレーは当たり前のように行われている。日本が戦争放棄という美しい理念を掲げようが、世界のギリギリでの削りはなくならない。そして日本人はそのことにナイーヴであってはいけない。美しい理念を保ちたければこそ、ラフプレーに負けないようわたり合っていかなければならないのだ。

そういうと石原慎太郎のようなアプローチを取ろうとする人もいるかも知れない。でも私はそれは下品であり、何も解決しないと思う。

為末さんはパク・ジョンウの行為に対していう
「日本として講義するのは得策じゃないと思う。もう一つ次元が上の目線から、オリンピズムの本質を諭すようにIOCに意見を出すべきだ。島の問題ではなく、世界中が大切にしているものを貶めた問題として扱うべきだと思う。」

どこまで目線をあげられるか。
我々の民度は常に試されている。

what's "my wife's camera"?

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