2012-07-26

純文学はSM。



エンターテイメントと純文学。
面白いヤツと小難しいヤツ。
もしくは一般受けをするヤツと高尚なヤツ。

若い頃はそういうようなイメージを持っていた。
でも本をたくさん読み始めてからも、純文学といわれる芥川受賞作のどこがいいのかわからないで「よさがわからないということはオレはイケテないんじゃないか」と考えたこともあった。

それがある程度歳をとってようやくわかった。
純文学は要はSMなんだと。

本を読み続けていくと色々な感動に対する耐性がついてしまう。
物語の展開を想像しながら読んでしまう。
「この伏線はこうやって回収されるのかな」とかついつい思いながら読んぢゃう。

結果、どんなにいいストーリーでも感動の種類が既知のものだと勝手に自分の中でフォルダリングしてしまって興奮できなくなり、そしてインポになる。

別にインポになったからといってそういう作品を楽しめないわけではない。

「おっ、キレイだな」と思ったり、「スタイルいいな」と思ったりはするし、そういう作品と出会えうとうれしくは思う。

でも我をも忘れてしまうような興奮ができない。

別にSMについては詳しくないけど、それは性的嗜好であると同時にエロスとタナトスを渾然一体とすることによって新たなる高揚を得ようとする哲学的な営為でもあるんじゃないかと勝手に想像する。もしそうなら純文学はまさにSMなんだろうと思う。

これは何も読者の興奮の問題だけではなく、書き手にしても自分の書いた物が「どこかで見聞きしたような話」だったり「手垢がついた表現」だったりすることが許せないこともあるはず。

結果、世の中には今までに誰も経験のしたことのないような種類の感動や、誰もがハッとさせられるような表現、描写を求めるようになる。

それが純文学と呼ばれるものなんだろうと思うわけです。

そういう表現の味わいは既存の表現を一通り知って、インポになってからじゃないとわからないもの。

巨乳がぷるぷる揺れているだけでイキそうになっているような人には変態趣味にしか思えないでしょう。

つまりSM的だということ。
だからなんだという話でもあるけど。

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