2012-07-29

ヒミズと柔道。




園子温の「ヒミズ」のDVDを観る。

大仰な映画評をぶつつもりはないけど、よく指摘されるように震災を織り込んだのはやっぱり失敗かな。話がとっ散らかって散漫になっちゃってる。

それから茶沢さんの改変もどうかなぁ。彼女はやはり無条件に許容する母親/クールな救済の女神というポジショニングの方がよかったんじゃないか。まあ確かにそれだとお約束の人物配置になってしまうけど、映画の設定にするとそれはそれでDVの被害に合っている子供たちの救済の物語に堕してしまうことになると思う。

結果オヤジさんの造形が陳腐になってるし、そして住田がオヤジさんをやっちゃうシークエンスも原作の静かな迫力を損ねてる。

ここまで書いて思った。結局私自身が原作に引っ張られすぎて映画版「ヒミズ」を独立したひとつの作品として観ることができていないということかも知れないな。

未来への出口の見えない閉塞の物語だったマンガ版「ヒミズ」を震災が起きたことによって未来への希望の物語にしようとした園監督の意図は透けてみえる。でもあれだけ原作が強いとテーマを180度変えてしまうノイズはでかくなりすぎてしまう気がする。

希望の作品を撮りたかったのなら「ヒミズ」原作でなく、オリジナル脚本の方がよかったかなというのが結論。

でもちょっとメタに立って「園監督にこういう映画を撮らせざるをえない気持ちにさせた3.11」という命題は考えさせられる。

***

久しぶりにオリンピックを観戦。

柔道を観る。海老沼の試合。

といっても例のジュリーによる判定が覆った話ではない。
ジュリー制度の導入の歴史的文脈を知らないから何とも言えない。まして篠原現監督が現役の時の誤審が関係しているというのだからおいそれと意見することはできない。関係ないけどあれは非道かった。

今回観戦して感じたこと。あれはもはや私の知っている柔道じゃない。国際化にともない柔道がポイントを争う採点競技の側面が強くなっていったということらしいけど、どうにも馴染めない。

青い道着もいまだにしっくりこないけど、それ以上に今の競技形態はダメだわ。

やはり私にとっての柔道のひとつの理想のイメージは1990年の日本選手権無差別級決勝、小川直也対古賀稔彦の試合。当時130kgあって95kg超級でも圧倒的な強さを誇っていた小川に75kgの古賀が背負い投げを武器に果敢に向かっていった試合。
はっきりいっていつどうやって小川が仕留めるのかだけが見所の試合だったし、今の柔道のスピード感からみると冗長に見えるかも知れない。でも古賀はかけ逃げみたいな変なことをせずにちゃんと一本を狙いに生き続けた。負けた後本気で悔しがっていた古賀の姿には感動した。

まあこれはオールドファンの戯れ言の類の発言なんだろうけどね、それでも今の柔道は好きになれないや。
日本選手権はまだ昔ながらの柔道の匂いが残っているのかしら。

what's "my wife's camera"?

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