2012-01-25

【書評】 「采配」 (落合博満著)




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「采配」(落合博満著/ダイヤモンド社)
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タレント本はあまり読まない。別段ポリシーがあるわけでもないが、食指が動かない。
本書をタレント本と呼ぶのかは不明だが、献本されたので読んでみた。そして献本してくれた友人に心から感謝した。

落合氏の行動原理は二つのものに支えられているように感じられる。
ひとつは情と情熱であり、もうひとつは筋を通すことだ。

そう聞くと特別なことには聞こえないかも知れないが、ここでいう「筋を通す」というのがくせものだ。それは仁義を通すということとはいささか異なる。

むしろ原則を徹底的に守るといった方がピンと来るかも知れない。

そのことが象徴的に記されているのがワールドベーシッククラシックの監督要請を辞退した逸話だ。

落合氏は「球団と契約」をしており、それは「好成績をあげるためにベストを尽くす」というものだ。
だから好成績をあげるベストの手段として辞退したと説明する。

こう聞くと「自分のチームのことだけを考えるのではなく、低迷するプロ野球界全体のことを考えて監督として貢献すべきだ」と反論する人もいるだろう。

そういう人に氏は「(もしプロ野球全体のことを考え、オーナー会議できちんと話し合い)球団オーナーを通じて要請されれば、私には断る理由はない」と反論する。

落合氏が嫌いな人には詭弁にしか聞こえないかも知れない。でも果たしてそうだろうか。

私は「roll & responsibility」という概念が日本社会にはあまりにも欠落しているように思う。「責任の所在を明確にせよ!」といさましいことをいう人もいるが、結局システムと一人ひとりの意識が伴っていなければ責任の所在は明確になりようがない。

ともすれば「全員で一丸となって」と耳障りのいいことをいう。一丸になるのは構わないが、役割と責任の分担の明確化は必須だ。あまりそういうことをいうと「四角四面だ」とか「ケースバイケースで臨機応変に」という声が上がってくる。

繰り返しになるがケースバイケースも臨機応変もいいが、それでも責任の所在がはっきりしないと改善に向ける緊張感が生まれない。そして「みんなでがんばったけどダメだった。来期はもっとがんばろう」というしょうもない精神論に着地してしまう。

それに対して落合氏は「結果に対する責任は自分がとる」と明言している。そして責任の重さを自覚し完全に「引き受け」てるのだ。

世の中どこにも正解はない。色々な考え方がある。それぞれのリーダーがそれぞれに信じる道を希求すべきだ。評価は結果によってなされるだろう。しかし、十分な権限を与えないまま結果の責任だけを負わされてはかなわない。

そして残念ながらそうなってしまっているのが今の日本社会の閉塞の大きな一因だろう。

権限(role)と責任(responsibility)を明確にした上できちっと引き受ける。
落合監督に仕事に対する向き合い方を考えさせられる。


最後に、サラリーマン向け書物として仕上げたダイヤモンド社の編集はいい仕事をしたということも付記して。

what's "my wife's camera"?

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