2011-11-09

性犯罪者の人権について。

昨日、姉貴とちょっとしたいい争いになりました。
話は性犯罪者の人権問題。
何かの流れで性犯罪者の話になり、姉貴は「性犯罪者の人権なんて無視。去勢すべし」と断言していました。

小さな子供を持つ親としては、再犯率が高いとされる性犯罪歴のある人を野放しにされていると想像するだけで許しがたく、被害者に莫大なダメージを与える性犯罪は万死に値するという感覚で発した言葉でしょう。

その気持ちはとてもわかるのですが、酒が入っていたこともあり「人権なんて無視」という言葉に過剰反応してしまいました。そしてちょっと議論を戦わせたのですが、我ながらうまく論点を整理できず家に帰った後もモヤモヤしていました。

そこで性犯罪者の人権についての論点を調べようとモーガン法について調べてみたら下記のようなサイトが見つかりました。
「モーガン法のまとめ @macska dot org」


モーガン法とはアメリカの性犯罪者の再犯を防ぐ目的で制定された法律です。「性犯罪者に発信器をつける」という話など聞いたことがあるかも知れませんが、その根拠がこのモーガン法です。

このブログ「ミーガン法の基礎知識」「ミーガン法の現在」「性犯罪と再犯率」「性犯罪者更生プログラム」と章立てされており、とにかく論点がきちっと整理されていて秀逸です。
また筆者自身がリベラルの立場をとるという風に明言していながらも、極力ニュートラルに両論併記を心がけている姿勢も好感が持てます。

しかし私が姉貴に食ってかかったのはリベラルの立場からでもないですし、個人的にはこのブログの筆者とは異なりミーガン法的アプローチをとるのもいた仕方なしと思う程度に性犯罪を忌むべきものだと考えているので、ここではこのブログの内容については触れません(ただし、本当に一読の価値はありますよ)。

では何に突っかかったかといえば、それは先述したとおり「人権は無視」というセリフです。

以下に昨日きちっと言えなかったことを整理してみましょう。

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人権を守るということは一般的に考えられているよりもはるかに大事なことです。

憲法でも「基本的人権」は保障されています。ーーと、書くと「そりゃ憲法では基本的人権は大事だって言うに決まってるけど、それを盾に犯罪者を過度に保護するのはおかしいでしょう」という反論が聞こえてきそうです。

では基本的人権を考える前に、まず憲法とは一体何でしょうか。
それは「国家の権限を制限するもの」です。もちろん憲法は国家の基本理念を定めたものでもありますが、基本理念を定めた上で「それを実現する以上の権限は国家は持ちませんよ」というものなのです。

ちょこっとだけ政治思想史のお話。
昔、世界史や倫理の授業でトマス・ホッブズという名前を聞いたことがあるのではないでしょうか。あるいは社会契約説だとか。

簡単に説明します。昔中世の王様は王権神授説といって「オレは神様のお使いとして統治してるんだから、オレのいうことは神様が言っているもんだと思え」という思想がありました。

でもそれは理不尽だということで出てきたのがホッブズです。
彼は「本来人間は『自然権』という生まれながらに好きなことをできる権利を持っている。でも何のコントロールもしないと下手すりゃみんなすぐに殺し合いになりかねない(=万人の万人に対する闘争)、それじゃマズイからみんなちょっとずつガマンして(自然権の放棄)誰かに上手く仕切ってもらおうぜ」ということを考えます。

そして仕切ってくれる主体を「国家」と考え、仕切ってもらうにあたっての契約が結ばれていると考えました。

そのホッブズに対して「別に万民は闘争しねえよ、もっと自由で平等な存在だよ」といってジョン・ロックとかルソーとかがでてくるのですが、彼らも政府に自然権を一部託しているんだから契約はあるはずだと考え、特ににルソーは「人間が生来もつ自由と平等をより堅固にしてもらうために契約しているんだ」ということを「社会契約論」の中で言ったのです。

自由で平等な人間が、自分が本来もっている権利の一部を放棄してまで仕切らせるんだから、どういう仕切りをみせるのかはっきりと言えよな、といって国家に書かせるものが「憲法」なのです。

だから「憲法は国家との国民の契約書」というように比喩する人もいます。ちなみに他の法律は国家の方から「憲法に書かれたような国にしますので、これだけは守ってくださいね」という(=自然権を制限する)ものです。

ああ、できるだけ簡単に書こうと思ったのですけど、やっぱり長くなってしまいました。でも政治思想史はここまでです。
でもこれでなぜ「基本的人権」という言葉が大事に憲法に記されているかを何となくわかって頂けたでしょうか。

さてもう一度、性犯罪者の人権に話を戻しましょう。
犯罪者に発信器をつけたり、去勢したり、性犯罪歴のある人物の名前をWebで公開するというのは言わば人権の制限です。

では誰がそれを制限することになるのでしょうか。それは国家です。
私たちは国家が基本的人権を制限することにスーパーセンシティブでなければいけないのです。犯罪者のものであっても「人権なんて無視」発言を気安くしてはいけないわけです。

なぜか。それは国家は恐ろしいものだからです。国家との国民の契約関係を意識せず、国民は国家に統治されるものだと考えたらあっという間に王権神授説のような状態になってしまってもおかしくありません。

そういわれてもピンとこないかも知れませんが、究極の人権侵害は命を奪うことです。正しい契約関係が保たれないと人々が正当な理由なく国家にとって不都合だからという理由だけで殺されかねません。

それは荒唐無稽に聞こえるかも知れませんが、今でも世界中で起きています。そしてそれは独裁国家だけでなく民主国家の旗手のアメリカでもCIAによってそのようなことが行われているという人もいます。

アメリカが殺人を含めた不当な人権侵害を実際に行っているかどうか私にはもちろんわかりませんが、少なくとも気をつけていないとアメリカでさえそういうことが起きかねない、という認識は持った方がいいということは間違いないでしょう。

だから「人権を無視」という言葉を軽々と言葉にしてはいけないのです。

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最後に姉貴との口論の発端となった性犯罪者の処遇について思うことはことを一応簡単に。

私は国家が国民の人権を制限することは何がなんでも反対だ、といっているわけではありません。
ある犯罪者の存在によって他の人々の人権が侵害されるならもちろんその犯罪者の人権が制限されざるを得ないこともあるでしょう。
懲役はその一つの典型です。一定期間、人権の一部を制限する施設です。でもいったん刑期を務めたら前科があろうが他の人々と同じ人権が保障されなくてはならないというのが原則です。

でもそれではどうしても他の人々の人権を侵害してしまうということだったらモーガン法的なアプローチも視野に入れ価値はあるというのが私の考えです。

但しその方法論については相当スタディーし、運用についてはかなり慎重でなければならないと思います。そのあたりの議論に興味があれば、冒頭でご紹介した「モーガン法のまとめ」サイトを読んでみてください。ツッコミどころもなくはないですが、かなり勉強になります。


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