2011-10-09

「女性の社会進出」なんてなくなればいいのに。

取材でスーダンを訪れた日経BPプロデューサーの柳瀬博一氏が現地の国際貢献の現場を見て驚いたとラジオで話していた(TBSラジオ 文化系トークラジオ) 。
ひとつにはそこには多くの日本人が活動していたということ。そしてもうひとつは働いていた日本人の8割、9割は女性だということ。しかも彼女らは「フワフワ系の自分探しの勘違いネエちゃん」などではなく、一流大学を出て、超一流外資系企業で活躍していたような方が大半で、話を聞くと明確に仕事に対して使命と愛を持って働いているという。

そのことに驚いて後日同行した池上彰さんと一緒にJICAの緒方貞子理事長を訪れて質問を投げかけたところ言下に返事が返ってきた。
「要するにね、まだ日本はあれだけ優秀な女が働く場所がそんだけないからよ」

女性の社会進出。あるいは企業の女性の活用。

私はかつて外資系の広告代理店で働いていた。その会社は欧州ではかなりの大企業だったが、日本では弱小だった。

そこで働き始めてすぐに感じたことがある。それはそこで働く女性がとても優秀なのに比して男性にボンクラが多かったということだ。

すぐに私は自分なりの結論に達した。その会社の要求する英語の水準が高かったこともあり、全然仕事ができなくても英語ができるだけで大きな顔をしている男性社員がいるのだろうということ。

そして日本企業で冷遇されてバカバカしくなって活躍の場を外資系に求めた女性が流れ着いているだろうということ。

象徴的にいえば、東大の法学部を卒業した学生が新卒で外資系の金融機関に就職したいと思うことはあるだろう。あるいは電通なり博報堂なりの広告代理店を志望する学生もいるだろう。

でも彼らの中で外資系の広告代理店を志望する人はほとんどいないだろう。いたら正直言ってその学生の相場観は悪い。すく少なくとも私がその業界にいた6、7年前までは東大の法学部卒の学生が第一志望にする場所には思えなかった。

企業の女性活用。

今書いたことと表裏一体だが、日本企業のほとんどが女性を有効に活用できていない。

アメリカ圏にいて、零細ながら企業を率いる身としては「女性だから」という差別はありえない。零細企業は常に人材に枯渇している。優秀な人材であればそこにジェンダーはない。

私の大学のゼミの担当教官が言っていた。
「僕のポリシーでゼミは男女同数にしたいんだけれども、成績だけで選抜してしまうと女性ばかりになってしまうんだよ」

日本で女性をもっと活用しない手はない。

そういうことを大企業の人事担当の方に話したとしたら、オフレコならきっとこういう返事が返ってくるだろう。

「そのとおりなんだけどね、でも女性は結婚したり、子供ができたら辞めてしまいますからね。やはり社員教育などのコストを考えるとそれはどうしてもリスクになってしまうんですよ」

なるほど。言いたいことはわかる。いつ辞められるかわからない社員は簡単には雇えない。至極最も。

でもこちらでは事情がいささか違う。確かに女性は妊娠したからという理由でいつ辞めてしまうかわからない。でもいつ辞めてしまうかわからないのは女性だけではない。男性だっていつやめるかわからない。条件のいい仕事が見つかればいつでも、いとも簡単には職を変える。

つまりあまり語られないが女性の社会進出の促進には人材の流動化がひとつのカギになっているのだ。

高度経済成長期における終身雇用制度が一定以上の効果を発揮したのは認める。でも日本古来の雇用形態が終身雇用だというのは幻影だ。現代的な終身雇用が広まったのだって1960年代に入ってからだし、その制度の恩恵の下に逃げ切れるのはせいぜい現在60歳くらいの人までだということを考えると、終身雇用の良い面を享受できたのは1940年から1960年に生まれたわずか20年間くらいの間に生まれた人たちなのだ。

しかも最早制度疲労を起こしているのは明白だろう。その理由の詳細については機会があればまた書くが日本の経済ステージ、人口構成は最早終身雇用を許さない。

さらにいうと人口構成から考えると労働力不足による生産力の低下の問題は日本産業にとって死活問題だ。

まだ多くの人は深刻に考えていないかも知れないが移民の受け入れも含めて(現状の建前的な最悪の移民政策についてはまた追って機会があれば)真剣に検討しなければいけない程日本の労働力不足は深刻になってきている。

そのような状況の中で優秀な女性たちを日本社会が活用しない理由はない。

30年前は女性を登用するのには一定のリスクが伴ったのかも知れない。でも今女性を登用しないのはリスクだ。女性にどんどん機会を与えるためには制度を含めて色々変える手間暇やコストがかかるかも知れない。でもそれをしないのは経営の怠慢だ。
日本の企業風土だとセクハラや飲みニケーションなどの問題があって女性の扱いには難儀するという会社もあるかも知れない。でもそんな風土は変えてしまえばいい。
もちろんそういう風土も含めてひとつの文化だという主張もわかる。でも、もし安い労働力で日本と同等以上の技術力を持った世界の他の国々と互角に渡り合っていきたいのなら、少なくともその風土を変えることの方が合理的だということは間違いないはずだ。

震災以降、よくも悪くも日本の旧来の制度の問題点が露呈することが多い。そしてアンシャンレジウムの堅固さに驚愕することもしばしばだ。

アタマではわかっていてもついついとか、まだ当面は大丈夫でしょう、というのが一番怖い。

少なくとも女性の社会進出の環境を整えるのはすでに遅すぎるくらいだ。かつて日本は「経済1流、政治3流」と自らを称していた。でもこのままでは「経済3流、政治5流」にさえなりかねない。ほんと、冗談じゃなく。

日本社会は男性優位でずっときた。その状態は男性にとっては心地はいい。でも形式的な男性優位の気持ち良さを保ちたいがために、商売や国の経済をダメにしてしまっていいと思う程日本人は、日本人の経営者はボンヤリしていないだろうと信じたい。

「女性の社会進出」なんて言葉があること自体が女性が活躍で来ていない証拠。
マザコン、ロリコン的男性優位社会はもうやめてそろそろ「女性の社会進出」なんて言葉ない社会にして女性にもっと活躍してもらいましょうよ。

No comments:

Post a Comment