2011-09-28

野田首相の国連演説。

my wife's cameraというこのブログ。妻から預かっているカメラを壊してしまい、修理が叶わず更新が滞っている。

でも久しぶりに言いたいことがあるので、乱文書きなぐりながらポスト失礼。

野田首相が国連演説をした。その様子をTBSラジオのDigという番組で検証していた。キャスターが演説を受け、政治記者・ジャーナリストに外交の手腕を聞くという番組。http://www.tbsradio.jp/dig/2011/09/post-1270.html

野田首相が国連原子力安全会合で演説をして「原発の安全水準を世界最高に高めた上で輸出は継続する」という趣旨の発言をしたとのこと。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20110923k0000m010139000c.html

これを受け政治記者の何某は「国内では脱原発を謳っていながら、藪から棒に原発輸出を語るとはダブルスタンダード」という趣旨の発言。

はっ?野田さんが原発輸出を継続するってのは民主党代表戦で立候補したときに「文藝春秋」の手記に明言してる話ですよね?政治記者であれを読んでいない人はいませんよね?

にも関わらずスッとぼけて「藪から棒」的発言をするのは止めていただけませんか。そうやって善意の第三者ズラをするのはもうやめましょうよ。それが受けると思っているのなら、終わってますから。自分たちが世論を「正しい方向」に誘導できるっていう感覚は時代錯誤甚だしいですよ、いいかげん。

えっ?本当に読んでないんですか?そんな気合の入っていない人はとっとと政治記者辞めちゃってください。

そういうことも全てわかった上で、スッとぼけないで解説をしてくれる人以外はいらないですから。

お願いしますよ。

2011-09-03

一郎から太郎の時代へ。

1993年に「日本改造計画」を読んだときの興奮は今も覚えています。
「これなんだよ、日本が必要としているのはこれ!日本はこの人をリーダーにすべきだ」
それまで政治家といえば利権にまみれながら政争をするだけの人たちと漠然と思っていただけに、明確なビジョンを示してくれた同書は私を高揚させました。そして以降、様々な変節がありながらも私は小沢チルドレンを自称していました。

民主党に合流して「日本改造計画」と真逆のことを言い出しても、今の日本で頼れるのは結局この人しかいないんだ、と疑心暗鬼ながら自分を偽って見守っていました。

でもそれももう終わりです。

3.11。東日本大震災。

パラダイムが明確にシフトし、そしてこれまでの歪みが白日のもとに露呈された瞬間。

細かいことは記しませんが、過去の実績に一定以上の敬意を払っても小沢一郎がもはや終わった人だということが、チルドレンを自称する私にさえはっきりとわかりました。

過去に小沢一郎に対する批判に反駁したこともありましたが、その批判の一定以上の部分は正鵠を射ていて、非は私にあったとさえ気づかされました。

20年近く追っかけてきたわけですから一抹の寂しさがあってもおかしくないはずなのですが、不思議とそういう感覚はありませんでした。

おそらく震災がシフトさせたパラダイムが大きすぎて、平成の政治の中心にい続けただけの人物ごときのことはどうでもよくなってしまったのかも知れません。

21歳のときに「日本改造計画」を読んだ私は間もなく39歳になります。未来を考えるとき、自分自身の未来もさることながら、国や次世代の未来が次第に気になるようになってきました。

その中2010年、当時の鳩山首相が一般人との懇談のために設けた鳩カフェに出席する機会を得て、それを気に鳩山首相の提唱する「新しい公共」という概念に興味を持ちちょっと調べてみました。

確かに鳩山元首相はどこかぼんやりしたところがあるのか、実務的な政治家としては色々問題があったかも知れません。でも彼の提唱する「新しい公共」という概念自体は素晴らしいと心から思ったのです。「新しい公共」とは一言でいえば、様々な公共サービスをお上任せにせず成熟した「市民」一人ひとりがコミュニティーとともに担っていくというものです。

あまりリンクして議論されませんでしたが、これは当時大流行したハーバードのマイケル・サンデル教授の提唱するコミュニタリアニズム(共同体主義)とも大いに合致した政治思想でした。

人びとが政治や公共を他人事としないで、コミュニティーを通じて一緒に生きていく。これは素晴らしい。

でも有権者としてそれを自分の政治的立場の表明や投票行動に表すのならどうすべきだということに対する回答が自らわからず、しばらく悶々としていました。

いくら「新しい公共」が素晴らしい概念だといっても鳩山さんを支持する気にもなれません。小沢一郎についていきたい気持ちがある他方で信じられないところもある(それとはまったく別に、西松とか虚偽記載の起訴はありえないほど非道い話だ)。

かといって自民党に目を転じてみても、いくら高校の先輩とはいえ谷垣さんにこの乱世の舵取りを任せる気にはならない。みんなの党も面白い党ではあるけれども、渡辺喜美も亀井静香とはちがった意味で「とても魅力的だけど、所詮はトリックスター」だという印象を打破してくれる決定的な何かが欠けている気がする。

その中での3.11です。

菅前首相の対応や、首相としての評価はまた改めて記す機会があるかも知れませんが、政治は完全に変容しました。

政治家、いや多くの人間の本質が顕わになりました。
危機に臨むぎりぎりのところに置かれたときの対応や発言を見る中で私は二人の政治家に好感を抱きました。

一人は細野豪志原発事故担当大臣です。彼の名を聞くといまだに山本モナとの不倫騒動しか思い浮かばない人もいるかも知れませんが、もうそろそろ忘れてやってくさい。なかなか気骨のある政治家です。前々からそういう評判は聞いていたのですが、TBSラジオ Digでのビデオジャーナリスト神保哲生さんとのやりとりを聴いて、「この人信用できるな」と確信しました。まだ若いのですぐに首相どうこうという話はないでしょうが、応援したい政治家です。

そしてもう一人の政治家はもともと好感を抱いていたのですが、その著書を読んで「日本改造計画」以来の興奮を覚えてしまった人物です。

そう、河野太郎氏。

もともと彼の原発関連の歯に衣着せぬ発言は気持ちいいと思っていたし、Twitterでもフォローしていましたが、iPhone, iPadでよめる電子書籍「これからの日本の政治の話をしよう」。本書はもともと河野氏が記した「私が自民党を立て直す」に加筆修正したものです。

一言で印象をいうと信頼できる政治家だ、ということです。

本書でははじめにざっくりと彼の思うところを記し、後はひたすら今日本が抱える課題に対しての政策提言を中心に展開されていきます。

河野さんのことをあまり知らない方のために書くと、彼はどちらかというと小さな政府志向を持っており(ただし年金はきちんとすべしという立場)、市場の力を信じています。

こういう考え方に嫌悪を抱く方もいることは承知しますが、政治家の発言を読むときには政治家の主張に対する好き嫌いの他にその政治家が信頼できる人物であるかどうかということを見極めることも大事なのだと思います。

政治家が信頼できるかできないかを見極めることもポイントは簡単です。その政治家が本当に日本をよくしたいのか、それとも次の国政選挙で当選したい気持ちの方が強いのかを見極めればいいだけです。

「大きな政府」がいいのか「小さな政府」がいいのかは正直いって誰も正解はわかりません。それぞれに納得させられるような意見はあるでしょう。

でもそういった意見をいうときに支持母体が見えてくるとゲンナリしてしまいます。逆に自分とまったく逆の意見でも、その政治家が心から信じていることなら一定の敬意を払って自分の意見の参考にしてみようかとも思えます。

具体的にいうと、河野さんはまず小泉改革は正解だったという立場を明確に表明しています。それどころかもっと徹底させるべきだったと。

2008年のリーマンショック以降、世界経済は停滞し日本経済も強烈にその煽りを受けましたが、その頃から色々な人が小泉政権の批判をし始めました。発想はとても幼稚でリーマン=市場原理主義=新自由主義=小泉政権、リーマンショック=新自由主義の限界&崩壊、その後の不況=小泉政権の負の遺産。

こういうわかりやすい図式を利用して様々な人がポジショントーク的に小泉政権を批判し始め、それをマスコミが無批判に乗っかってしまっていつしか「格差の拡大は小泉改革のせい」という言説が当たり前のように流布されるようになってしまいました。

ここではあえてその検証はしませんが、少なくとも格差が拡大して貧困層が増えることはよくないということからか、あれだけ人気のあった小泉政権を賞賛しづらい空気が醸成されてしまっています。

小泉改革を支持するだけで「お前は格差の拡大を容認するのか!弱者は切り捨てか!」という的外れでヒステリックな意見を相手にする面倒臭さを避けて。

でも実際問題はそんな単純なものではないんですよね。反小泉派のいうことがすべての間違っていると断定することはできませんが、同じように小泉改革を否定することもできない。

でも弱者切り捨てと思われるのが怖くてその議論を避けようとする政治家が多すぎるという印象があります。

それに対して河野氏はきちんと自説を主張します。これは信用できるという印象を私は受けました。

後期高齢者医療制度についてもそうです。この制度をメディアはこぞって「姥捨て山」というようにいって叩きましたが、河野氏は真っ向からこの制度を擁護しています。

高度経済成長期の政治は「富(=利益)の分配」をどうするかが大切でしたが、今の日本の政治は「不利益の分配」をどうするか、というとても厳しい選択を迫られています。

その中「いや、まだ無駄を削減すれば富は生じ、それを分配することは可能だ」という立場をとる政治家が多すぎます。

耳触りはいいですが、ありえません。今の日本の人口構成や成長ステージを考えると「無駄を削減しながら、成長戦略をとり、さらに不利益も分配しながらなんとか再生を果たす」しかないと少なくとも私は考えます。

でも誰もそれを口にしようとはしません。そこまではっきりとダメだしされたら楽しくないですから。でも河野氏はきちんとそれを口にしているんですよね。これ、いくら強い地盤を持っていて看板やカバンもしっかりしているからって中々できることではありません。その証拠に他にそこまではっきりいう政治家を知りません。

だから正誤はさておき、自分の信念をはっきりと表明できる河野氏に私は信頼をおきます。

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と、河野氏を持ち上げて来ましたが、別に盲目的に彼を支持するわけではありません。かなりの部分までは彼の政策提言に我が意を得ているのですが、外交だけは腹落ちしませんでした。

具体的にいうと少し逃げているかなという印象が拭えませんでした。とはいえ外交は本当に難しいです。今日本の外交が抱えている根本的な問題は根が深すぎて誰も根本的な解決策を提示できないでいるのかも知れません(ただし1993年当時としては小沢一郎の「日本改造計画」はひとつの提案をしていたように思えます)。

そういう意味では、かなり期待する河野太郎氏を持ってしても外交の解は見つからないのかという絶望感と、取り敢えず山積する問題の前に外交は棚上げするという小泉純一郎的リアリズムに対する賞賛の中で揺れているという感じです。

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今もってなお政治報道は小沢一郎氏を中心に動いているという感は否めません。野田内閣が発足してから政局報道は一服したかのようにも思えますが、それはおそらくマスコミがハニームーンを気取っているだけのことでしょう。しばらくしたらまた下らない政局報道が再燃し、小沢一郎がその中心に立つでしょう。

でもそれはもう時代遅れです。マスコミも小沢一郎の賞味期限を考え始めているかもしれません。でも賞味期限という発想自体が視聴率至上主義に毒された考えです。

真面目に考えてみてください。小沢一郎の時代は終わってます。これからは河野太郎の時代です。

小沢氏と同じくらい河野氏も反発を受けていますが、私の相場観ではこれからは一郎の時代ではなく、太郎の時代です。


「太郎の時代」。

おお、なんと耳触りがいいのか知らん。

まあ、そういうことですので、どうかひとつ宜しく。