2011-02-24

軍人さんファッション




Podcastを聴いているとパーソナリティーの小島慶子さんがたわいもない話の流れの中で「ミリタリーファッションもまだ流行っていますし」というような発言をしていました。それに少し違和感を感じてしまったのですよね。

小島さんは歯に衣着せぬ物言いで人気ですが、とても聡明な方で社会問題にもきちんと向き合うという印象があります。そして彼女の過去の発言から戦争はなんとしてでも避けるべきだという気持ちを持っているように感じていました。

その彼女が無批判に「ミリタリーファッション」という言葉を使うのが不思議でした。たとえば「人種差別ファッション」というものや「幼児買春ファッション」というものが世の中に存在するとしたら、彼女は「ミリタリーファッション」を口にするがごとく無邪気にその言葉を口にしないと思うんですよね。

以前、ミリタリーファッションのブームについて思うことはすでに書いたのでここでは詳しくは書きませんが、私は別にミリタリーファッションそのものを否定する気はないんです。

そして日本人が一斉にトレンドに飛びつくことはいささか滑稽だと思いながらも、国民のオシャレ度がかなり高いことは世界的にCoolだと心から思っていたりします。

でも英語圏の人が"military fashion"という言葉を聞いたらそれは日本人が「軍隊ファッション」「軍人ファッション」という言葉を聞いたときと同じような印象を受けるということには自覚的であるべきですよね。

やはり英語のできず、平和ボケした日本人にとって「ミリタリーファッション」という言葉はどうしても漂白された響きがあり、モードの重要な部分が致命的に抜け落ちてしまっています。

というわけで私は声を大にして言いたい。

今後女性誌は「ミリタリーファッション」という言葉を使うのをやめ、すべて「軍人さんファッション」という言葉を変えるべきだと。そちらの方がよっぽどエッジが立っていてモードだと。

ま、絶対に誰も変えないだろうけど。




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2011-02-22

「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」



今日、用事があり寄ったところで岩井俊二監督の「打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」のDVDがありました。

以前から評判は聞いていたのですが、昨年見ていた「モテキ」で同作品にオマージュを捧げていた回があり気になっていたので借りようと思いました。すると「すみません。こちらは販売だけなんですよ」と言われてしまいました。

恐る恐る値段を尋ねてみると「50セントです」との返事。Buy!往復のガソリン代よりも安いです。

というわけで観てみました。これは胸キュンだ。

そのキュンとくるレベルはソフィア・コッポラの「ヴァージン・スーサイズ」レベル。

私にとって岩井俊二氏は「映画監督」というよりも「映像作家」というイメージが強い方で、その期待を裏切らず美しかったり心をざわつかせたりする映像はやはり秀逸。

特になずな(奥菜恵)がプールサイドで横たわるシーンをフランソワ・オゾン監督が「スイミング・プール」を撮る前に完全にやってのけていたというのには感服です。

また今やワイルドな大河俳優となった山崎裕太さんの演技は秀逸でした。「あっぱれさんま大先生」の面影をそのまま残しながらも、12歳とは思えない素晴らしい演技にはうならされます。

そして一応触れておきたいのがトリッキーなプロットです。まあ20年近く前の作品なのでネタばれもなにもないかとは思うのですが、本作では話の途中で設定が変わります。

私は事前になんの前知識もなく観たのですが、これはもともと「Ifもしも」というオムニバスドラマシリーズの一つだったということです。

これは話の途中で分岐点が表れ、そのどちらを選ぶかによってどのようにストーリーが変わっていくを描くというものでした。だから本作も途中から話が二つに分かれます。

私は何の前知識もなく観ていたので話が分岐した直後は「えっ」と一瞬面食らいましたが、分岐したことによって「これはどう回収されるのか」というようないい緊張感が生まれたので、この変則的な設定は私のように白紙の状態で望む人にも結果的にはありでした。

そしてやはり触れておかなければならないのは、なずな役の奥菜恵さん。当時14歳の彼女の演技は山崎裕太さんとは比べるべくもない程の大根棒読み演技なのですが、しかし彼女の存在感が素晴らしい。彼女なくしては本作はこのような胸キュン映画にはならなかったでしょう。

とにかく胸キュンノスタルジー派は必見です。






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2011-02-20

ジムで考えたこと。




今日ジムのテレビでNikeのテレビCFが流れていました。様々なスポーツにおける「どうだ!」的シーンをテンポよく畳み掛けるように流すWieden + Kennedy社のお家芸的かっこいいコマーシャルです。まあ20年前に見ていたら間違いなくNikeへのロイヤリティーを高めていたでしょう。

競技者としてのスポーツをする気がまったくなくなってしまった今でもなんだか根源的プリミティブなところに訴えかけてくるものがあるのですよね。

そう思いながら漕いでいたエアロバイクから降りてストレッチをしていると、ジムのトレーナーが地元の格闘家と一緒に入ってきました。

アメリカのジムではトレーナーがジム内でパーソナルトレーナーとしてアルバイトをすることを認めているところは少なからずあります。あまり時給は高くないけれども、トレーナーとして認められてお客さんがつけば収入を上げながらキャリアをつけることができるという寸法です。

格闘家がグローブを付けトレーナーがミットを付けミット打ちを始めました。
私はボクシングとか格闘にはあまり明るくはないのですが、ミット打ちにおいて受けのトレーナーの役割は相当大きいと聞きます。

自身も格闘技のバックグラウンドがあるからこそか、ミット受けの重要性を知っているトレーナの表情は真剣です。

その真剣な表情をみて「いいなあ」と思ってしまいました。何かのスポーツや競技に真剣に打ち込んでいる人は皆美しいのですが、それを支える人たちも多くの場合かなり強い情熱と真剣さを持っています。そしてそこにはどこか胸打つ美しさがあるんですよね。

スポーツの世界では今石川遼、斉藤祐樹などと若くて才能のある人が頭角を表してきて、それに伴いスポーツにさほど詳しくない人も新しくスポーツを見るようになってきました。

どういう入り口であれ、スポーツの素晴らしさを知る人が増えるのは素晴らしいと思いますが、もしその選手が好きでその競技に興味を持ったのなら、たまには彼らを支える人たちの気持ちに思いを馳せてもらえたらいいなあ、とつい思ってしまいます。



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2011-02-19

w7 心のベストテン第一位は?




今週心が一番動いたのは何といっても新しいシェフが来てくれたこと。文句なしの第一位。

同時に車がないと身動きの取れないグアム、諸々の手続きなどで四六時中一緒で色々なところに連れまわさなければいけないというのは疲れることもありますが、未来に対するワクワク感が大きく勝っています。

これからが楽しみです。


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2011-02-18

Happy Wedding



明日、うちの店としては始めての婚礼のパーティーが入ります。
普段は予約を受け付けない業態ですので、そういうパーティーは受け付けていなかったのですが、知り合いに頼まれたということと開店と同時の開始ということでオペレーション的にもうまくいきそうだということでお受けすることにしました。

先方はカジュアルにやるので気兼ねない形がいいから選んだ、と仰っていたのですが一生に一回の特別な席、できるだけのこができればと思いギリギリまで思案しています。

今この瞬間にも花嫁は「明日結婚式か」と特別な感慨を抱いているでしょう。その後の会食については考えていないかも知れませんが、それはむしろ不手際がなくて当たり前だと思っているからでしょう。こちらの緊張感も高まります。

そこでふと思いました。毎日何席もの婚礼をこなしている業者はどういうような心持ちなのでしょうかと。もちろん少しでもいいものにしようと一生懸命がんばっていることでしょう。しかし同時に「ああ、今日は手間隙かかるお客さんが多いな」とか「こんな少人数だったら特に気合入れなくても楽勝か」とか当然思ったりもするはずです。

片や一生に一度の大イベント、片や毎日こなさなければいけない日々の業務。当然ある程度のミスマッチはあるはずです。これは時にはアンハッピーな結末を招くこともあるんじゃないかなあ、と思ったわけです。

そう思ってはっとしました。私の店とて人事ではありません。たしかにカジュアルな店なので一生に一度の思い出、という形のお食事を提供することはほとんどないかも知れません。でも久しぶりにメインランドから帰ってきた家族を迎えた束の間食事ということは少なからずありますし、「この子が誕生日はどうしてもここがいいっていうから来たのよ」という家族揃ってバースデーパーティーもよくあります。あるいは「ここの店、なかなかいいんだよね」といって家族と一緒に来たことのあるティーンエージャーがガールフレンドを始めてのデートに誘う場所として利用されることもあるでしょう。

うーん、これは程度の差こそあれ、結婚式と変わらないなあ。一期一会。
今一度襟を正してビジネスを見つめなおさなければいけないかも知れません。



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2011-02-17

20110217



本日ははりきりすぎて少し疲れました。

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2011-02-16

喜びと期待と覚悟と。



今日新しい料理長が日本から来ました。
年齢は若いですが、確かな技術を持っておりそして何より強いモチベーションを持っている青年です。

景気がなかなかよくならない中、新しく日本から人を呼び寄せることはそれなりに大変ではあるのですが、彼と一緒に働くことによって新たな展開が拓けてくるのではないかと楽しみです。

そしてそれは同時に私自身にとってとても大きな挑戦でもあります。今まではレストラン経営といっても従業員はローカルばかりでした。飲食店における従業員は社員といっても日本のそれとは若干異なります。

一言でいえばアルバイトに近いという感じでしょうか。アルバイトというのは決していい加減とかそういう意味ではなく、企業に対するコミットメントレベルです。従業員は皆まじめに働いてくれていますし、中には素晴らしい従業員もいます。しかしそれは日本におけるアルバイトでも一緒です。ただなんていうのでしょうか。その会社をよくしていこうという主体性はどうしても低いのです。

もちろん彼らも会社がうまくいって自分の給料が上がった方が嬉しい。でも昇進して責任あるポジションについて会社のマネージメントに携わりたいという人はそんなに多くはありません。自分が今やっている仕事でできるだけ給料を多くもらえたらいいなあと思う人が大半です。

でも今日来てくれた料理長は違います。六本木の素晴らしい日本食店で働いていたキャリアを投げ打ってきたわけです。小さな子供3人を抱えて家族で不慣れな土地でチャレンジしてみようと思ったわけです。覚悟が違います。

そしてそのような覚悟を持ってやってきた彼に対して当然こちらも相応の覚悟が要求されます。これは彼にとっても私にとっても大きな挑戦です。

大きなプレッシャーもかかりますし、失敗したら多くのものを失うでしょう。でも同時にとても楽しみな挑戦でもあります。

しばらくは大変かも知れませんが、前向きになれるというのはいつでも素晴らしいことです。


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2011-02-14

St. Valentine



いつもより少しだけ値の張るワインを買った。
ちゃんと美味しいワインだった。
とても幸せな気持ちになれた。

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2011-02-13

ミリタリーのある風景。



本日のランチ、店はかなり混んでいたのですが、その中一人の中年の白人の婦人に呼び止められました。とりたてて裕福そうではないものの品はよい彼女は私に「あそこのミリタリーの人たちのお会計は私がもちたいのだけれども」と言ってきました。

みんながみんな知り合いのような狭い島、「あのテーブルの支払いはこっちに廻して」なんて話はよくあるのですが、今回はちょっと様子が違います。

その婦人とミリタリーの人たちは挨拶を交わしていたわけでもなく、なにせ彼らは15人以上の大集団で来ていたのですから。

「私が払ったってことは絶対に言わないで。支払いはクレジットカードで 払うから大丈夫だから」と。

ま、断る理由もないので「承りました」とその申し出を受けました。

後になり会計の際、彼女はいいました。「私には4人の子供がいるのだけれども、そのうち3人が今ミリタリーにいるのよ」。
そういって彼女は288ドル分を支払い、出て行きました。

バレンタインを翌日に控えた日のできごとだった。

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2011-02-12

W6 心のベストテン第一位は?



今週の心のベストテン第一位は先日もBlogで紹介した「市民と武装 - アメリカ合衆国における戦争と銃規制」(小熊英二著)です。

詳しくは先日の書評を読んで頂きたいのですが、この本は「なぜアメリカ人はいつまで経ってもも銃規制をしないのだ」という長年の疑問にひとつの回答を与えてくれます。

先日のTusconの乱射事件の直後、アメリカでは銃規制を求める声が高まるどころか銃の販売数が増えました

他国の問題ながら、根は深い問題。これを機にアメリカ史をもう一度勉強してみようかしら。

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2011-02-10

大相撲八百長とサンデル教授




昨日のTBSラジオ「Dig」で大相撲の八百長について特集されていました。

基本的には主張は私がちょっと前にBlogで書いたのと同じく大相撲伝統擁護論に寄ったもので(一応中立は心掛けていましたが、出演者全員が擁護派だったので、全体的にはそういう論調に)、意を得たりという感じも強かったのですが、まずは面白いと思った発言をご紹介。

「そもそも行司は部屋に所属しているのだし(知らなかった!)、審判部の親方もそれぞれ部屋に属しているのだから、それで西洋のスポーツ的中立を求める方が無理だ」というようなことを仰っていたのはノンフィクションライターの高橋秀実氏。御意。

この他にも色々と発言がでます。
「相撲の立会いは行司の掛け声で始まるものではありません。お互いが間合いを計って始めるのです。つまり相手のことを慮(おもんばか)る気持ちは相撲の根底にあります」
「一年中同じ相手と対戦します。当然お互いのことよく知ったもの同士ですから、7勝7敗で千秋楽を迎えた相手が負け越したら十両転落だったら『子供も生まれたばかりだし可哀相だな』という気持ちは生じてしまうものです」
とか。

逆にリスナーからの投稿で、
「幕内力士の談合的注射(=八百長)で、どれだけの十両力士が煮え湯を飲まされ、失望し廃業していったか」という意見もありました。

これらを聞いて「おお、サンデルじゃないか!」と思ったのです。

マイケル・サンデルとは「ハーバード白熱教室」で昨年ブームをおこしたハーバード大学の教授。「トロッコ問題」とかのわかりやすい例題とディスカッションを喚起する授業手腕で一躍日本でも有名になりましたが、彼はいわゆるコミュニタリアン(共同体主義者)の論客で、その政治思想の授業をしていたわけですよね。

簡単にいうと、合理的な利益ばかりを追求する功利主義者の考えも個人の自由に至上の重きを置くリバタリアンの主張もどうしても腹落ちしない局面が出てくる。その間を埋めるのが「共同体的何か」ではないかという思想。

そして小泉改革の負の側面がでてきたり、リーマンショックで市場経済のマイナス面が見えたりしたし、無縁孤独社会が問題となっていた2010年の日本には、共同体に価値を見出すこの思想が一定以上響いたとサンデル人気を分析する人は少なからずいます。

そこで話を戻すと、「大相撲」こそサンデルの提唱する「共同体的何か」を持ち合わせていると思ったのですよね。

古典的自由主義のリバタリアンだったら、八百長ってのは絶対にないですよね。個人の自由が保障されていなければいけないわけですし、その結果の果実も不可侵なわけですから。

次に「最大多数の最大幸福」を標榜する功利主義的観点から立つとどうでしょうか。これは恐らく八百長に対してニュートラルなのではないかと思うわけです。まず八百長によって十両転落を免れて喜ぶ力士が一人いる。それは同時に幕内昇進を阻まれた力士が一人いるというわけですよね。つまりイーブン。もちろん新しい活きのいい力士の上がるハードルが高まるという大相撲活性上のマイナスもありますが、力を落としてきた人気力士が十両転落し引退に追い込まれるというリスクが減ることはプラスといえるわけです。

それでは「共同体主義」的にいうとどうなるのでしょう。まずは共同体主義というものを咀嚼するとそれはトップダウン的なシステムにもボトムアップ的な権利の主張にも任せられないということなんですね。

だからこそ宮台真司氏がよくいうところの「エートス」を共有する中間共同体の存在が大事になるということです。そこに「共同体的何か」が介在するはずだという考えです。

これを相撲に置き換えると、「毎回ガチンコでリバタリアン的にやったって怪我ばかり増えて、みんな力士生命を縮めるだけだぞ。本気を出すのは本当の勝負どころだけでいいじゃないか」ということになり、「お客さんは強い力士が勝つところがみたいんだ。顔の知っている幕内力士を観に来ているんだ。だからある程度彼らに長らく活躍してもらうということはお客様へのサービスにもなり、ひいてはそれが収入と言う形で相撲協会に還元されるのだからそれでいいじゃないか。それが嫌だったら、お客さんが観たいと思うような圧倒的強さを身に着けろ。でも安心していいぞ、この共同体にいたら雨風はしのがせてやるし、飯もたらふく食わせてやるから」ということです。

上記の意見に反論も色々あるでしょうが、それを正面切って否定できる人はいるんでしょうかね。

もちろん先に挙げたように注射のため幕内に上がれず廃業して悔しい思いをした力士もいるでしょう。でもそれは共同体の二重性で、大相撲という共同体の中にさらに「幕内」と「十両」という二つの利益の相反する部分のある共同体があるわけですから発生しうる問題だとも言えますけど、同時に「大相撲」ならびにその発展という観点でみれば同じ船に乗ったもの同士ですよね。そういう共同体には結びつきには一定以上の機能はあるはずです。

ネット難民、ワーキングプア、年金問題、無縁社会など現在日本が抱える問題は色々ありますが、大相撲という組織は少なくとも衣食住は保障しますし、働いて結果さえ出したら相当の給料は保証されている。さらに退職金基金はしっかりしているし、年寄株を取得できれば部屋を継ぐこともできます。

習慣にいささか独自性はありますが、少なくとも昭和以降は現行に近い制度でかなり長い間機能し、そして国民を喜ばせていました。

これをサンデル教授のいう「共同体」と言わずになんというのでしょうか。

というわけで今後相撲協会はどうすればいいのでしょう。まあ公益法人を目指したいというのですから、賭博とか暴力団と結びつく形の八百長はまずいですよね。それならば経営幹部には大相撲出身ではない経営のプロを入れた上で「金銭の授受が発生する八百長は厳禁。発見し次第即刻解雇」とし、いっそのこと「大相撲には『八百長』はないが、日本古来の『慮り』や『あうん』はある」と宣言するのはどうでしょう。

そして「『大相撲』は地域共同体が崩壊しかけている日本に新たに『共同体』の形を提言し、未来へ夢を与える組織だ」と再定義してしまうとか。

ちょうど今度休場するのですから、「Dig」でもいっていたように新燃岳の被災地まで行って瓦礫を取り除いたり、火山灰の払いなどに協力し、そして横綱の土俵入りを見せて見舞うなんてなかなかいいんじゃないかと思います。

あんまり神経質に四角四面になるよりも、それくらい開き直った方がかえって受け入れられやすいと思うんですけどね。どうでしょう。


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2011-02-09

【書評】「市民と武装 - アメリカにおける戦争と銃規制ー」(小熊英二著)




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「市民と武装-アメリカにおける戦争と銃規制-」(小熊英二著/慶應義塾大学出版会)
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大分前に友だちに勧められて読んでいたのだが、Tucsonの乱射事件を機に本棚から取り出して再読すると印象より前に抱いた印象よりはるかに面白かったので書評を。

アメリカの銃規制の話をすると必ずでてくるのが合衆国憲法の修正第2条。これは国民が州民兵として武装する権利を憲法で保障するものだ。

銃規制反対派は建前上はこの修正第2条をかざして反対するということだ。しかし21世紀の現在州民兵として武装するという概念を我々日本人が感覚的に理解することは難しい。その歴史的背景をわかりやすく説明してくれているのが本書だ。

著者は冒頭で建国時のアメリカは開拓共同体としての側面が強かったので、「武装は権利というよりも、共同体の防衛に不可欠な義務だった」という。その証拠に「同時期にマサチューセッツでは、非武装の市民には課税することを決めていた」という例を挙げる。

これだけでもそれなりに面白いが、著者は次章で「無制限戦の開放」として独立戦争時のイギリス軍と戦い方について述べていく。ここがかなり興味深い。

イギリス軍は王侯の傭兵によって構成されていた。傭兵ということは金で雇われたものであり、強いモチベーションはない。彼らはきちんと軍服に身を包み、マスケット銃と呼ばれる滑空銃を使い横一列に隊列して戦う。そして王侯同士の戦争のときは相手の面子を保ちながら、ある程度適当なところで勝敗を決めていた。

しかしアメリカの建国の父であった自由市民にとってそういった軍隊は絶対王政の象徴であり、自分たちの自由を勝ち取るためには倒さなければいけない相手だった。だから強いモチベーションをもって自由市民は彼らに立ち向かっていった。そして彼らは立ち向かっていく手段として幼いときから狩りなどで使い方を習熟していたライフルを使用していた。

ライフルというのは銃身にらせん状の溝が刻まれ弾道が安定しているため滑空銃よりも射程距離が3倍も長く、「遮蔽物に身を隠しながら狙撃」することが可能であった。そのことによりアメリカの自由市民は殲滅戦を戦い抜き独立を勝ち得た。

だからこそアメリカ人にとって銃武装の権利はアイデンティティー的にも重要であり、武装権の擁護を主張している団体のNRA(全米ライフル協会)もその団体名に「銃」ではなく「ライフル」が入っているという。

この話だけでも面白いのだが、その他「絶対王政とアメリカ独立軍の戦争観」とか「独立戦争におけるマイノリティー」とか面白いテーマも論じられている。

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また表題の論文の他に「普遍という名のナショナリズム-アメリカ合衆国の文化多元主義と国家統合」という論文も掲載されている。こちらは20世紀初頭にアメリカでおきたアメリカナイゼーション運動について論じたものだ。

アメリカにおける同化の思想をアングロサクソンの生活様式に合わせるべきだとする「アングロ・コンフォーミティ」と、多文化が混ざり合うことによって新しい文化の形が生まれるとする「メルティング・ポット」と、多文化が共存並立する「文化多元主義」にわけ論じ、黎明期のアメリカ指導者たちがどういう形でアメリカを理想の国家に作り上げようとしたかを論じている。

そういった議論が真剣になされているのを読むと、当時のアメリカ人がいかに強く建国の理想を掲げ実現しようとしていたのかが伺え、同時にそれから100年も経たぬうちに随分アメリカは理想から離れてしまったものだとも実感する。

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本書の2稿を読むとアメリカ史をもう一度学び直したくなってくる。そして本書を読んだ後に学ぶアメリカ史には確実に新しい発見があるだろう。


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2011-02-07

スーパーボウルに思う。




今日はスーパーボウル。日本同様スーパーサンデーならぬスーパーマンデーですね。試合時間はこちら時間の朝9時から昼の1時過ぎくらいでしょうか。

グアムではアメリカンフットボールは実はアメリカ本土ほどはメジャーではないのですが(人口の3割以上がフィリピン系で彼らはフットボールのルールがわからないため、バスケの方が盛り上がる)、それでもやはりスーパーボウルは特別。休みにしてしまう会社も少なからずありますし、やはりアメリカ系の人にとっては一大イベント。ミリタリーの人を中心にスーパーボウルパーティーはあちらこちらで開かれます。

当然テレビを置いていないうちの店は閑古鳥。というわけで暇だったので12時半くらいに同じエリア内にあるバーに行き一人で観戦を決め込むことにしました。

店につくと第4Q始まってまもなく。野球でいうと7回裏くらい、サッカーでいうと後半30分すぎくらいでしょうか。ちょこっと観戦にはちょうどいい。

点差は11点。接戦ではないけれども普通に逆転も可能な点差(1タッチダウンで7点くらい)。ビールを頼んでカウンターに腰かけました。

私は大学時代アメリカンフットボール部に所属していたので一般的な日本人よりはフットボールはわかります。少なくともルールはわかる。しかし大学を出てからほとんどNFL(アメリカのプロリーグ)を観てません。スーパーボウルに出ている選手も一人もわからない。

それでも自分が贔屓にしていたチームがでていればいいのですが、残念ながらそのチームは出場できず。というわけで高校時代の同級生がずっとファンだったチームがたまたま出場していたので、そのチームを応援することにしました。

しかし選手をひとりも知らず、チームの特徴もわからず、ましてや最近の戦略もわからない状況でフットボールを観ると正直面白さ半減ですね。

というのもフットボールって詰め将棋みたいなところがあるので、試合全体をどういうストーリーで進めようかとする戦略が大切なんです。そしてその戦略が機能しなかったときにどう修正するのかも大事。さらに各攻撃をどうやって得点に結び付けるかというのも、手持ちの駒(戦力)を使って詰め将棋のように行っていくわけです。

だから事情をまったく知らないで観ると「もっとわかれば本当はもっと面白いのに」と歯がゆくなってしまうわけです。

それを思いちょっと反省しました。学生時代フットボールの試合に女の子を誘い「でもルールわからないから」というところを「大丈夫、おれルール説明するのうまいから」とかいって強引に誘ってたもんなあ。中にはスタジアムの雰囲気を楽しんだコもいたかも知れないけど、全然わからなくてポカーンとしながら「寒いなあ」とだけ思って終わったコもいたんだろうなあ。

そして私以外にも多くの男子が自分の好きなスポーツ観戦に女の子を誘って一人で「いやあ面白かったね」と盛り上がっているんだろうなあ、今も。そしてそういう時女の子は「ま、この人が楽しそうだからいいか」と思いながら大して面白くなくとも「そうね」なんて相槌打つんだろうなあ。いつの時代も女の子の方が大人ですからね。


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2011-02-06

大相撲の八百長ってそんなに悪いですかね。



大相撲の春場所が中止になったようですね。
まあ、最近不祥事続きでそれに対して相撲協会がいったん中止して創業的出直しを図るという判断を下したのでしたらそれに反対するつもりはないんですけれども、大相撲において八百長ってそんなに悪いものですかね。

私は小学校のとき、親から「相撲には星の貸し借りがある」というようなことを聞きました。

小学生の私は別に失望もせず、逆に優勝争いしか興味がなかったので「そういうもんなんだ」とすんなり受け入れてしまったような気もするのですが相撲好きにはそんなことは常識ですよね。そもそもガチンコ(真剣勝負)という用語があるのですから(これ、元々は相撲用語ですからね)、逆にそうじゃない取組みがあるということは当然暗黙 の了解。

今回の八百長の日本における報道の温度はちょっとわからないのですけれども、騒ぎすぎじゃないですかね。特に相撲評論家とか相撲に対してコメントを求められるような立場の人が「あきれてモノも言えない」といって見せたり、「失望した。裏切られた気分だ」などと言っているのを聞くとかなり鼻白みますよね(その点「それも含めて楽しんでいた」といったやくみつるはエライ)。

彼らが星の貸し借りを知らないわけもないのに、インタビューされると急になぜカマトト善人ぶるのかがわかりません。かえって裏表のある腹黒い人に見えてしまいます。

そしてそういう人に限って朝青龍の一連の騒動のときは「横綱の品格」とかいうんですよね。

私は朝青龍は横綱としては不適格者だと思っていました。それは相撲が単なるスポーツではなく、神事を源にした国技であるから、というのが私の立場でした。だからからこそ伝統的な範囲内における星の貸し借り的なことには寛容なんです。

「神様はすべてお見通しです。だから八百長をしてはいけません」ということではなく、逆に「神様は人々が仲良く協力し合って暮らしていくことを望んでいます。だから節度を保った範囲であるのなら多少のことには目をつぶる寛容さはあります」という理解が日本的だと思うんですよね。そして相撲とは日本の神事なわけですから、この理解でいいのではないかと。

もちろんそれを否定して「完全に真剣勝負じゃなきゃいけない」という立場の人を否定するつもりはありませんよ。それはそれで一つの考え方です。相撲をスポーツとしてとらえて、八百長を糾弾し、国技の看板を下ろして普通のスポーツ団体として捉える方がいいという考え方もあるでしょう。

でもそれならば朝青龍が睨みつけたり、横綱ながら変化したり、外国人力士がガッツポーズをとってもそれに大して品格だとかなんだか言って文句言っちゃ駄目ですよね。「死に体」っていう判定もなしです、当然。

相撲が国際化するというのも一つの選択肢ではありますが、個人的に柔道が世界に広がったことを喜ばしく思うと同時にカラー道着を始め、ポイント制など柔道が本来の「道」としての柔道性を失いつつことあることを残念に思っている身としては、八百長問題にそこまで目くじらを立てなくてもいいと思うんですけどねえ。

今回の騒動を見ると、日本人の「大人度」が下がっているなあと感じてしまうなんて言ってしまっては国際社会じゃ通用しないんですかねぇ。

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2011-02-05

草食的唯名論。 / W5 心のベストテン第一位は?



二晩続けて二十代の男の子たちと話をする機会に恵まれました。この一年くらい二十代前半の男の子に会うといつも同じ質問をしていました。

「草食系とか言われるけど、どうなの?」

それは私自身の仮説から来ていた質問だったのですが、この二日間でその仮説に対して強い確信を持てて安心しています。

私自身過去に「若い男の子」をやってきた経験から若い健康な男の子に性的に衝動がないってことはありえないと思っていたんですよね。ストレートに言ってしまえば「やりたい盛り」なんですから。そしてそれは時代とかゆとりとか関係なくて、生理的な問題なわけです。

もし今の若いコに抑えきれない性欲がなかったらそれは環境ホルモンとか生物的に深刻な問題であって、日本人滅亡の危機であると思っていたわけです。

でも地道なフィールドワーク(?)で色々な男の子に質問していくと、みんな女の子(ときに男の子)に性的に興味がある。抑えがたい欲求もある。なかには「ああ、たしかに自分は草食系ですね」というコももう少し突っ込んで質問すると女の子に性的な興味はあるのだけれども、自分からはアタックできないでいるだけだったりする。

そしてアタックできないことを草食系だと思っている。アホか。

私は若いコから見たら肉食世代だろうし(現38歳)、その中でもわりと狩猟民族と分類される方だったかも知れません。しかし女の子に声をかけるのは緊張してたし、好きなコに嫌われたらどうしようと思うと身動きとれなくなってしまったり、傍目楽しそうに女の子と話していても必死だったりしたわけですよ。

それでも女の子にアタックするのは私たちが「ロッキー」を観て育った世代であり、コレステロールなんて気にしないで生卵6個ミキサーにかけて飲み込んでフィラデルフィア美術館の前の階段を駆け上がってウォーと叫ぶ「でもやるんだよ精神」があるからなわけですよ。

つまり草食系の男の子は負けるのを怖がっているだけというか、「ロッキー」を観るべきというか、つまり時には「ハートロッカー」のように爆弾処理もしなければいけないというか、オレなにいってるんだろうというか、要は気合なわけです。

そこで思い出したのが数週間前にあったTBSラジオDigの「若者はセックスに関心ない?」特集

投稿者の女性の一人が「マスコミが無責任に『草食系』だなんてラベリングをするから、男の子がそれに甘えて『オレ、草食系だから』といってアタックせずに受身になっている気がする。男の子が消極的になったのはラベリングのせいじゃないか」という意見をいっていました。

まったくもって同感です。

おそらく生物学的にいうと女性は妊娠のリスクもあるので、むしろ異性を慎重に選別する立場なわけですよね。ということは男性は選別される立場。

女性の特権は選別できるところにあるけど、かわりにあまり迂闊にいくことはできない。峻別される側の男に特権があるとしればそれは後先考えずにガンガンいけること以外ないわけなはずです。そして本来的にガンガンいきたい強いパトスを持っている。ならばいかずにどうする、ロッキー!勃つんだ、ジョー!なわけです。

ま、なにいっているかわけがわからなくなったけど、この際世の中から「草食系」という言葉をなくしてしまいましょう。そしてとにかく漢なら腹くくって勝負しなければいけない状況を作るしかないのではないかと強く思うわけです。はい。


(追記)W5の心のベストテン第一位は、『The King's Speech』です。

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2011-02-04

かわいそうな弁護士。



Videonews.comで小沢一郎を起訴した弁護士たちの会見をみました。
例の検察審議会で二回起訴相当が出てしまったから強制起訴になったわけですが。よく言われるようにプロの検察が死ぬ気で起訴しようと思ってもできなかったのですから、これが有罪になることはまずないでしょう。

このことを真剣に論議しようとすると刑事訴訟法の247条の起訴独占主義とか248条の起訴便宜主義だとか、推定無罪の問題とかややこしいことになってしまうのでここでは特に書きませんが、ここでは起訴した弁護士の話。

彼らは「十分に起訴する価値がある」とか「起訴をすることは法曹としての良心に恥じない」とか言う他方で「起訴をしたからといって有罪を勝ち取ることができる確信があるとは限らない」というような内容のことを話していました。

要は「制度的に起訴せざるを得ないから一生懸命検証しました。検察が不起訴としたんだから有罪なんてありえないけど、なんとか合理的な理屈をこねくりださなきゃいけないから難儀しましたた。でもこの起訴は捏造じゃないですからね。職業倫理に反しているとかいって責めないでくださいよ。私たちは誰かが拾わなくちゃいけない火中の栗を拾っただけなんですからね」ってことですよね。

そして事実かなり可哀相です。起訴権が検察の独占から開放されたという意味では検察審議会の役割もなくはないとは思いますが、それにしても立派な弁護士が必死になっていいわけをしながら起訴しなくちゃいけないこの制度はやっぱりもう少し整備されないとまずいよなあ。

what's "my wife's camera"?

2011-02-03

ビバ!永さん!




本日の友だち@shigotoninのTweetから

「いい‼今日一番かなw RT @shidachi: これいいな。 QT @hurricanemixer: こども電話相談室での、小6女子からの「好きな人に告白する言葉を教えて」に対する永六輔先生の回答がすげー良い。 http://goo.gl/bVaQx 」

リンクを読んで脱帽した。こういうことが言える大人になりたい。

what's "my wife's camera"?

2011-02-02

Rhythm Blues



昔、よく人に「どういう誉め言葉を言われると嬉しい?」と聞いていた時期があった。

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私は音楽が好きだ。小学校の時NHKの「みんなのうた」しか流れていなかった給食の時間の音楽を、放送委員の特権を使ってすべてビートルズに変えてしまい、中学では「夕焼けニャンニャン」を見る傍らベストヒットUSAをかならずチェックし、高校の文化祭ではクラブならぬディスコを開き、トレンドセッターとして君臨し続けていた。

音楽的な訓練は受けたことはないものの、大学、社会人と数々のパーティーでのサウンドコーディネートを頼まれ、寝言でよく「No Music No Life」と言っているというのは友人の間ではよく知られた話だった。

そう、私は音楽を愛し、そして音楽は私を愛している。

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妻は音楽が好きだ。ただ私と違って音楽家の血を引き、その薫陶を受けている。「ザ・ベストテン」は観たことがなかったらしいが、モーツァルトは全部聞き比べたことはあるらしい。ユーロビートの洗礼は受けていないもののオーストリア人にしかわからないワルツの微妙なリズムの神秘には迫っていた。

私には私の領域があった、そして彼女には彼女の領域があった。
しかし彼女の領域は私のそれを軽く内包していた。ヒップホップやR&Bはそれほど好きではなくとも私よりもずっと音楽的には高度にそして専門的に理解できたし、テクノやエレクトロニカについては私に負けず劣らず好きでもある。

その彼女は結婚前、踊る私を見て思っていたようだ。
「この人、なんかリズムがずれてて一緒に踊りにくいのよねえ。でも本人が気持ちよさそうだからいいか」と。

しかし結婚するまではそんな様子もおくびにも出さない。男を立て、気持ちよくさせる。大和撫子の超絶テクニックだ。

が、それも結婚まで。結婚後はラジオから流れる音楽を聴きながら「はい、じゃあこれのリズムとってみて」とこちらを試してくる。そしてため息をつく。

いや、そんなはずはない。私にリズム感がないはずはない。たしかに卓越したリズム感はもっていないかも知れない。でも、リズム感がないなんてありえない。なぜなら私は音楽に愛されているのだ。

たしかに高校の音楽の授業のリズムのテストでひどく悪い点数はもらった。しかしそれはきっと私がその先生に目をつけられていたからだろう。CDJが表示するBPMが私の感覚とずれていることもある。しかしそれは私が持っているCDJが安物で、きちんとビートを取れないのだろう。複雑なビート構成の曲もあるし、変調する曲もあるし。

とにかく私にリズム感がないなんてありえない。たとえ縄跳びをしていて途中でタイミングがずれることがあったとしてもだ。何せ私は音楽に愛されているのだから。

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結婚5年目に入ると彼女はもはやため息をつかない。ただただ面白がる。

「はぁい、じゃぁこれリズムとれる?」私はもちろんは非暴力不服従だ。

「どうしたの?」完全にいじめっこの目だ。

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私は今も音楽を愛してる。しかし歳を重ねると時に愛は不平等だということを理解するようにもなる。

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「どういう誉め言葉を言われると嬉しい?」
そう人に尋ねられると、時に同じ質問を返される。

当時なんて答えていたのかは最早覚えていない。しかし今ならこういうだろう。

「日本人離れしたリズム感があるよね」

適わぬ夢と知りながら。



what's "my wife's camera"?

2011-02-01

ゲームのルール変更。



昔はどの国も専制国家だったと思うのですが、気づけば今世界の趨勢は民主主義。
その移行期において専制君主は「なんで王様のオレが国民のいうことを聞かなければいけないんだ」という風に思ったことでしょう。

しかし時が過ぎ民主主義が浸透していくとイギリスにしろ日本にしろ王族、皇室の正統性は国民によって担保されるということが自然になってきました。つまりルールが変わり、そしてそれが受け入れられるようになったのです。

今またまさにルールが変わろうとしています。それは半ばいいフルされているかも知れませんが、インターネットとソーシャルメディアによってです。昨日の「英国王のスピーチ」の評にも書きましたが、それらのメディアの出現によって本来なら正統性を持つ国民が初めて暴力装置を持つ統治権力に対して対抗する「力」を得たということです。

30年近く軍政を敷いてきたエジプトのムバラク政権がFacebookを禁じていたことによって政権の危機を迎え、そして解禁したことによって崩壊寸前になっています。

このことが示唆することは簡単です。ゲームのルールが完全に変わったのです。

インターネットが世界経済をこれだけ効率化した今インターネットをなかったことにすることは最早不可能です。世界に6億人以上いサービスを停止するには民主主義を放棄するくらいの覚悟が必要です。

世界の指導者はそれを早く理解するべきです。あの政治的センスに満ち溢れた中国でさえ、インターネット規制の方向性次第では共産党政権を崩壊させかねません。

世の中の指導的立場にたっている人のすべてがそれを理解していないとはいいません。今回のエジプトの騒乱でいち早くエジプトからのSMSを無料にしたソフトバンクの孫社長などは完全に理解しているでしょう。

日本の政治家でも理解している人もいます。でもまだ世界中の圧倒的多数の統治権力がそのことを理解していないでしょう。

為政者は一刻も早くそのことに気づかなければいけません。そして我々統治権力に飼いならされることに馴れた我々国民も、民主主義を正しく機能させるために正しい声のあげかたを覚えなくてはいけないでしょう。

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