2011-01-09

1000対5の戦い。



少し前からTwitterで社会学者の宮台真司さんをfollowしているのですが、今日始めて宮台さんのTweetが私のTL上に現れました。

内容は宮台さんらしく中間集団についてビギナーにまったく優しくない口調で語っていたものでした。私が一昨日書いたブログと相通ずるものもあったので嬉しくもあったのですが、同時に宮台さんが丁寧に色々なRTに反論していることを面白いと思ったのです。

正直いうと宮台さんに対するRTの中にはそこまで思慮の深くなさそうなものもありました。知らない方のために申し上げると宮台真司さんは現代の屈しの論客のひとりであり、平成の知の巨人です。彼の知識は社会学にとどまらず、歴史、哲学、法律、政治思想、映画、サブカルなど相当な広範囲に渡り、それはどれもかなりの深度を持っています。

つまり彼の知識レベルは化け物級です。その彼に対してチャレンジすること自体は悪いこととは思わないのですが、宮台さんの知識レベルが1000だとしたら、レベルが5くらいにしか達していないんじゃないかと思える人もチャレンジしているわけです。

そして宮台さんがそういう人のRTにも返信しているわけです。始めそのやりとりをみて「そんなTweetにバカ正直に反応しなくてもいいのに」と思ってみていました。

しかししばらく経つとちょっと考えが変わってきました。今までレベル1000のヒトと5の人が同じ土俵に立つ機会はなかったよなあと思ったのです。

それだけレベルの違う人が直接対峙する機会は少ないでしょうし、実際戦ってどれだけ勝負になるのかはわからないのですが、少なくともインターネットの出現によってフラットな土俵が用意されたということ自体には大きな意味があると思うのです。

レベルが1の人と10000の人が同じ土俵にあがると非効率はあるかも知れません。渡辺恒雄氏のように本質を理解せずネット批判をするような人は恐らくこの玉石混交の「石」にしか目がいっていないのでしょう。

たしかに箸にも棒にもかからないような言説もネット上では多々みられますが、少なくともそれが「玉」なのか「石」なのか、「1」なのか「10000」なのかをどこかの知らない「エライひと」に勝手に判断されることはありません。

各人がどの土俵に上がっていくか自分で判断する。実は100しか実力がないのに自らを過大評価して1000の土俵に上がる人もいるかも知れません。でもそのことによって学ぶこともあるはずです。

また自分のことを50くらいだろうと過小評価して隅でこそこそしていると、5000の人からフックアップされるということも考えられます。

実際にはそういうことは少ないかも知れません。気づけば同じような興味、レベルの人たちばかりの集まる土俵が増えるかも知れません。でもそれでもいいんです。大事なのはそこに「権威」が介在しないことなのです。

宮台さんのバカ正直な、そして舌鋒鋭い、反論RTを読み、あらためてインターネットの本質について考えさせられました。


what's "my wife's camera"?

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