2010-12-01

Radikoのいいとこ、ダメなどこ。



みなさんradikoって聞いたことありますか。
要はインターネットを通じて普通のラジオ放送を聴くサービスです。
今年の3月に試験放送が始まって、今日からエリアを拡大して本格始動を始めました。

このブログでもよくラジオ(正確にはPodcastですが)の話題をしていることからもわかるとおり、私はラジオ好きです。小さい頃極度のテレビっ子だった反動というか、テレビの前から離れられない自分に嫌気がさして社会人になってから一切テレビは持ちませんでした。そのため家にいて本を読んでいるとき以外はラジオをつけるという習慣がついたのです。

当時はFMが中心でしたが、グアムにきて日本語が恋しくなってきた頃くらいにラジオ番組を配信するPodcastをAMがたくさん配信するようになり、今ではPodcastは完全に生活の一部になっています。

というわけでわけで私はラジオには頑張って欲しいと常々思っています。しかしこのRadikoにはいい面とダメな面があるんです。

実はラジオ業界は相当な危機状況にあります。昨日のTBSラジオ「Dig」では「ラジオの将来は?」ということを自らテーマにしてしまう程の状況です。その直接的な理由は広告費の減少です。こちらのサイトをご覧いただければわかるとおり、ラジオの広告収入は8年間で3割以上減っています。

ラジオの広告費がすべてインターネットに流れた等この状況に対する分析は色々ありますが、事実としてあるのは若者を中心としたラジオ離れです。彼らの音楽生活はiPodなどの携帯音楽端末が中心でしょうし、車などに対する欲求も極度に下がっているのでラジオに触れる機会がありません。

私が少年の頃はプロ野球が国民的娯楽であり、しかもテレビが試合終了までカバーしないことが多かったので当たり前のようにラジオを聴いていたものでしたが、今は野球人気もなくなりラジオを聴いたことのない若年層が増えているようです。

しかしラジオは聴かないもののラジオ番組を配信するPodcastは一部の若者の間でとても人気があるのです。つまりコンテンツ自体にはそれなりの力があるのに、それに触れてもらう機会がないため新しいリスナーを獲得できずこのままではジリ貧になってしまうという状況だといえます。

それに危機感を持ったいくつかのラジオ局が局の垣根を越えて出資しあってインターネットでもラジオを視聴できるシステムを作った、これがRadikoができた本当のところの理由です。

これは素晴らしいことだと思うんです。もちろんラジオコンテンツという素晴らしいものを守ろうとみんなで一丸となっているということもありますが、実はもう少し複雑な事情が潜んでいます。それは「通信と放送の融合」の問題です。

一般の人はラジオの番組をカーステから聴こうがインターネット経由で聴こうがあまり違いはないように感じられると思いますが、これが法律上では大違いなのです。日本の放送は放送法というもので色々とややこしい規定があるわけです。

でもこの放送法、無線通信を前提としているんですね。作られた1950年にはネットはおろかテレビのNHKの放送さえ始まっていないような時代ですから。そして無線=電波というのは有限なものだから公共性があり、それを使う事業者は公序良俗に反することなどないよう厳しく監督しなければいけないという意味のある法律です。

ただそれは同時に郵政省(現総務省)が電波使用の免許を与える許認可事業という形になり一種の権益事業になってくるわけです。

そのことが引き起こす問題というのは色々あるのですが、ここではそれはひとまず棚上げにしておきましょう。とにかく放送の免許をもっている事業者は既得権益者といえ、彼らからしてみればインターネットなんてほんの10年前まではとるに足らない新参者だったわけですよ。つまり格下と目していました。

しかしこの十年で状況が激変し、ついに既得権益だとか新参者だとかそういう垣根を越えようという動きがでてきているのが今回のこのRadikoの動きなわけです。もちろんラジオ局としてみればそれだけのっぴきならない状況にまで追い詰められたということなのでしょうけれども、先ほどもいったとおりリスナーにとって放送だとか通信だとかの垣根なんて関係ありません。利用者にとって都合のいい形態で気軽に聴ける方がいいに決まっています。

その動きがようやく形になってきたという意味でRadikoは本当に意味があると思います。

でも同時に気に入らないところもあります。
先ほどRadikoがでてきた経緯を本当のところの理由、なんてもったいぶってイタリックまで使って書きましたが、それは本当の理由とは別の建前があるということでもあります。

その大義名分は「都市部の難聴地域対策」です。大都市で高層ビルの多い地域は電波の入りにくいところがあるから、そういう地域のためにRadikoはあると少なくとも最初のうちは言い張っていたのです。

白々しいにも程がありますよね。

実態は先ほども書いたとおり新しいリスナー獲得のため以外何ものでもないでしょう。
でも放送法の問題に加え、著作権の問題もある。ラジオで曲を流すとき聴衆者の数などに応じてJasrac(日本音楽著作権協会)に楽曲使用料を払わなければいけません。ラジオ局の場合は大体事業収入に一定割合をかける包括契約をしていますが、それがネット番組の使用料とは料金体系が違うということもありJasrac問題はなかなか複雑です。

これはあくまでも推測ですが、Radikoに加盟するラジオ局ならびにRadikoを主導する電通がJasracに対し
「このままではラジオ局の広告収入が減る一方でJasracさんも困るでしょう?Radikoは別にネット放送じゃなくてあくまでも『難聴地域』の補完的役割ということにしておくので包括契約もいい条件にしてくださいよ。ひとつRadikoはネット放送の料金体系は適応されないということで。そうすれば将来的にはリスナーも増えて広告収入もあがりますから」
というようなことを言ったとも考えられます。

そういうようなことが重なって結局RadikoはIPアドレスによって聴ける地域を制限しています。もちろん海外在住の私は聴けません。

しかし私がうんざりしているのは私が聴けないからというわけじゃないんです。著作権の問題だってアーティストを守るためにとても大切ですし、放送と通信の融合もとても大変な法整備が必要となります。

だからすぐに完全解禁をするのは無理だというのはとてもよく理解できます。
でもだからといって「難聴地域」云々なんて白々しい理由をつけているようじゃいつまで経っても日本は変わらない。

今日の本放送にこぎつけるまでとても多くの関係者の多大なる努力があったのは簡単に想像がつきます。技術的にはどうってことないようなものでも、様々な法律や利害関係者の交通整理をするために恐らく政治家や官僚を巻き込んで大変な作業になったことかと思います。

だから「『難聴地域のため』とするのが法的にも利害関係者にも一番差しさわりがないので、とりあえずそういう形で船出をさせておいおい状況をみながら適宜調整していきましょう」と言いたくなる気持ちもわかります。

でもそれはリスクを極力とらないようにする官僚的発想です。時代がこれだけ劇的に変わっているんですから、そういうその場しのぎのことをしているとどんどん継ぎはぎだらけの制度になってしまう。例外条項が延々と続くような。

これを解決できるのは結局強い政治的リーダーシップしかないんですよ。大局をみてリスクをとる覚悟で大きなスキームを変えることができるのは。

それが今回なされなかった。その政治力とはこの場合政治家のそれだけとは限らないのですが、とにかく極めて日本的な落とし方がされてしまいました。

「まあまあ、本当のことはみんなわかってるけどさ、ここで敢えてそれを口にしても誰も幸せにならないよ。ここはさ腹芸じゃないけど、ひとつ穏便に済ませるのがみんなにとって丸く収まる方法なんだから」みたいな。

それじゃいつまで経っても日本は変わりません。そういう日本的なメンタリティーを善悪の価値判断で糾弾するつもりはないのですが、これだけネットも発達して経済もグローバル化してしまったのですからそろそろ正しく筋を通すことを日本人全体が覚えないと(それは必ずしもバカ正直というのとも違うのですが)、いよいよ世界から相手にされなくなってしまうんじゃないかと本気で心配してしまいます。


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