2010-12-12

報道陣って?ニュースステーションの功罪。




今日はとてもぼんやりした独り言です。

伊藤リオンが出頭したことで海老蔵"事件"が盛り上がり、目黒警察の前にはたくさんの"報道陣"が張り付いていたようですけれども、"報道陣"って誰のことでしょう。

「報道」と聞くと新聞社、通信社、そしてテレビ局の「記者」を思い浮かべますが、目黒警察の前に張り付いていたのは芸能リポーターなどが中心ではないかと想像します。

というか果たして報道部などのいわゆる「記者」はその場にいたのでしょうか。確かに伊藤某は逮捕されていて刑事事件になっているわけですから「事件」ではある。だからそこに「記者」がいたとしてもおかしくはありません。

テレビの番組表をみてニュース番組に「海老蔵」の文字が出ていたのできっとそこにもいたのでしょう。恐らく駆け出しの記者が取材にいかされるのでしょうか。

そこで考えてしまうわけです。もし私自身がジャーナリスト志望の若者で難関を突破してテレビ局に入社して念願の報道にいけたのに海老蔵事件の取材をしなければいけないとしたらどう思うだろうなあって。

個人的には「報道」という観点でいうと海老蔵事件はニュースバリューはほとんどないと思っています。まあこれは「報道」をどうとらえるかという話にもなってくるわけですが、よく言われる司法、立法、行政にならぶ第四の権力という観点で考えたとき、酒癖の悪いセレブリティーが酔っ払ってトラブルをおこしてボコられたというのはまあどうでもいい話です。新聞でいうならベタ記事どまりというのが妥当なところだと思います。

でもだからといって別にこの事件を取材することが若手の記者にとってまったく無意味だといっているんではないんですよね。地道に聞き込みをして、警察副署長などの関係者から捜査情報を聞き出したりして、ときにはじっと機会を伺いながら待ち続けるというのは恐らく記者としての基本動作としては決して他の取材とさして変わらないのでしょう。

だからデスクも「こんな取材もろくにできないで、大きな取材ができるわけねえだろ」なぞと檄を飛ばすのかも知れません。しかし普通に考えればジャーナリスト志望で志が高ければ高いほどこういう取材はアホくさく思えてしまいます。

じゃあなぜそれでも取材しなければいけないかといえば、それは多くの人が興味を持っているからであり事件の顛末を知りたいからです。でもここでいう「知りたい」というのはやはり報道を語るときに使われる「知る権利」とは明らかに異なるものでしょう。

少なくとも私自身に海老蔵さんの酒癖や殴られた場所の詳細を知る権利はないと思っています。興味があるかないかは別にして。

「でも興味がある人がたくさんいるから報道するんだよ」というのかも知れません。興味がある人がたくさんいるからそれに応えるというのは一つの姿勢かも知れませんが、それは「報道」と呼べるのでしょうか。

ここは難しいところで「事件」の価値をどう評価するかで変わります。「海老蔵さんが傷害事件の当事者になった」というのはあるいは報道するに値するかも知れません。しかしその詳細を「ニュース」として長時間割いて報道する価値はないのではないでしょうか。

ではどこで線引きがされるのかというのは難しい問題だとは思いますが、昨今「長時間割いて報道」という選択肢を選ぶ方に境界線が傾斜しているのではないかという気がしています。

そしてその理由はなぜだろう、と考えると真っ先に思い浮かんでしまうのはニュースショーの存在なわけです。もっと具体的にいってしまうと「ニュースステーション」の成功の功罪です。

それまでの報道番組には「ショー」の要素はありませんでした。しかし久米宏をと登用した「ニュースステーション」は「ショー化」することによって完全にニュース番組を変えてしまいました。

それは必ずしも悪いことばかりではありません。わかりにくいニュースを色々な工夫を凝らすことによってわかりやすく伝えたり、ニュースに関心の低い人にも興味が湧くような形で争点を伝えることをしたという功績はあると思います。

しかしやはりショー化することによって「報道」としてのクオリティーがどこまで担保され続けるのかという問題は発生しました。つまり「事実」を「正確」に伝えるというミッションに加え「視聴者」の興味を引くという要素が加わってしまったので、どうしても全体の印象としては「事実」と「正確」の強度が相対的に弱体化しているように見えるという欠点があるということです。

恐らく「報道」のクオリティーの担保ということは制作サイドもとても気を使っていたところではあるのでしょうが、専門の訓練を受けていなかった外部プロダクションがこの番組を作ったということが強度の弱体化になんらかの影響を及ぼした可能性はあります。それまでの報道番組はテレビ局の報道部の聖域だったのが、この番組は外部プロダクションへの外注によって作られたのです。

いずれにせよ「ニュース」と「トピック」の線引きが曖昧になったり「報道」と「ショー」が一緒くたになったりするのはどうも問題じゃないかと思うわけです。

別に海老蔵事件の話題をテレビで流すことが悪いとは思っていません。興味を持つことが下世話でよくないという気もありません。でもそれは「ニュース」じゃないんだよ、という自覚を人々に促す必要があるとは思うんですよね。

そうしないと若い人が海老蔵事件を報ずることをジャーナリズムだと勘違いしてしまい、権力の監視者としての正しい報道機関が育たないのではないかという危惧を持ってしまいます。

昨今、検察問題が露呈し記者クラブの弊害などもとりざされている中、しかるべき訓練を受けたジャーナリズムの本質を理解した記者の存在はますます必要性を増してくるのではないかと思っているのです。

とまあ、つらつらと書き連ねましたが、そもそも日本でどこまで海老蔵事件が「ニュース番組」で取り上げられ、その取材陣に報道部の記者がどこまで駆り出されているかもわからずに想像だけで書いてしまっているので、我ながらちょっと「ぼんやりしてんなあ」という内容になってしまったのですが。

what's "my wife's camera"?

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