2010-12-09

被害者ヅラをした平和ボケ。



私はグアムに住んでいます。
グアムにはアメリカ軍の基地があるので、当然基地問題に対する意識は高まります。
でもそれは日本で報じられているような「基地があるとキケン、コワイ」というものとは少し違います。もう少し生活に密着した普通の人々の物語として認識されています。

その肌感覚を理解してもらうのはなかなか難しいとは思うのですが、とりあえずふたつの映画を紹介します。それが「American Teen」と「Hurt Locker」です。

前者はインディアナ州のリアルな若者を一年間追ったドキュメンタリー映画で、その中でNBA(アメリカのプロバスケットボールリーグ)にいくかも知れないスタープレーヤーが父親に「スカウトに引っかからなかったらミリタリー(軍隊)だからな」と言われるシーンがあります。アメリカ圏では軍隊にいくのはとても身近な進路のひとつと考えられています(もちろんそれは恩給とか様々な福利厚生があるからです)。

だから軍隊は怖いものだとか、戦争反対とかいうのとはまったく違った次元で受け入れられています。

後者の"Hurt Locker"は昨年のアカデミー賞で6部門受賞している作品なのでご存知の方も多いと思いますが、イラク戦争に赴いている爆弾処理班のアメリカ兵を描いた映画です。

この映画を見れば兵士の多くが殺戮マシーンの傭兵などのイメージとはほど遠い、戦地に赴かざるをえなくなったフツウの青年だというイメージがつかめると思います。

つまり戦争はアメリカ人にとってはとても身近なものなんです。「それはアメリカ人がブッシュ政権以降自ら戦争することを選んだからだろう」というかも知れませんが、世界中の国の中で日本がここまで戦争や国際紛争から遠ざかっていられたのはそのアメリカの核の傘のもとに収まっていたからというのは今さら言うまでもないでしょう。

ここで日本の安全保障政策について論ずるつもりはないのですが、とにかく戦争は世界各地で普通におきておりそして日本もその世界秩序の一部であるということには自覚的であるべきと思うのです。

なんてことを急にいうのも先日気になるコメントをラジオで聴いたからです。
それは北朝鮮の延坪島ミサイル攻撃をうけてTBEラジオ「Dig」のテーマが「今後の東アジア情勢はどうなるの?」でした。

その中でリスナーからのコメントで「もし南北朝鮮間で戦争が始まったら、日本はどのような被害を受けるのですか」というような質問がありました。質問者のプロファイルもわかりませんし、もちろん質問は(英語的意味の)ナイーヴな恐怖心から無邪気に出たものでしょうが、私はとても違和感を覚えました。そしてこの質問をパーソナリティーもゲストも普通に受け止めそのまま回答していたのに驚きました。

「被害(者)」という言葉の裏には当然「加害(者)」がいるわけです。日本が「被害」を受けるということは日本が罪のない無垢な存在であり、何かしらの「加害者」によって言われもなく損なわれるという意味です。

しかし当然そんなことはありません。日本は東アジアでもっとも大きなアクターの一つであり、東アジアで起きるあらゆる国際情勢に日本は無関係であるはずはありません。むしろ何某かの不安定が生じたとき、日本はむしろその安定を保てなかったことの謗りを受けてもおかしくない立場にいるはずです。事実関係はさておき外交的に東アジアで一定のプレゼンスを保ちたいと考えているのなら、そう考えるのが当然です。

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実現の難しさはさておき、平和憲法というコンセプトは素晴らしいと思います。しかしそのコストは莫大です。もし「引き受ける」覚悟がないのなら、安易に「平和」を振りかざし被害者ヅラをしてはいけません。私たちも世界の一部です。世界の平和の責任の一端を担っています。ましてや東アジアの安全保障は私たち自身の死活問題です。

もしその自覚なく南北朝鮮の問題に対して被害者ヅラをしたのなら、日本人は間違いなく平和ボケした民族として世界に相手にされなくなるか、飲み込まれてしまうかのどちらかでしょう。


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