2010-12-02

「最後の一句」とおちょくり文化




一昨日のBlogで日本人は市民革命を経ておらず「お上」に対して無批判だ、という内容を書いたとき森鴎外の「最後の一句」の一節を引きました。

「お上の事には間違いありますまいから」

これこそが表題の"最後の一句"なのですが、表面上の意味は文字通りです。「お上(政府など)の言う事、やる事はエラいアタマのいい人たちが熟考されてのことでしょうから間違いはないでしょう」ということですよね。

私もこの文字通りのコンテクストでこの句を使ったのですが、もちろん小説の中ではそういう単純な意味では使われていません。

というわけで少し無粋になるかも知れませんが、「最後の一句」をちょっと解説。

簡単にあらすじを説明すると、ある船乗りがちょっと出来心で犯罪を犯し死罪になってしまいます。それをたまたま聞き知った長女16歳の"いち"が独断で兄弟姉妹と一緒に奉行所へいって自分たちの命を引き換えに父親を助けてもらおうと陳情に行きます。

最初は大人の入れ知恵なのではないかと奉行所も思い、子供たちを脅して追い返そうとするのですがいちはなかなかハードボイルドで毅然としていて一向に引こうとしない。

そこで奉行の佐佐が本格的に脅しを入れたときにいうのが件の「最後の一句」。

すごいですよね。16歳の女の子が奉行を前にこの肝の据わった皮肉。
江戸時代には少女でさえこんな批判精神をもったコがいたのに(まあ小説の中の話ではありますが)、現代の私たちは「お上」に対して基本的にいいなりになりすぎてませんか、という気持ちを込めて一昨日はあの一節を引いたのでした。ちょっと語るに落ちてしまったかも知れませんが。ちなみにこの作品、青空文庫で無料で読めます。短い話なのでご興味のある方は是非。

そもそもお上に対する批判精神、もっといえばおちょくり精神というのは本来は日本人の得意とするところだったんですよね。少なくとも江戸時代には川柳や狂歌という形で庶民は武士やお上をおちょくっていました。

もちろん現代人も「菅は首相になってから全然ダメだ」とか「自民ももう終わったよ」とか批判めいたことは言いますが、それはむしろ安全地帯からの愚痴みたいなもので、全然引き受けてないですよね。

江戸時代なら下手をすれば打ち首。それでも言わずにはいられない。しかもかなりユーモアのきいた形で。

でも今の日本人はお上がだらしなくても「仕方がない」って感じですよね。早くカリスマのある有能なリーダーが出てこないかなあと他力本願で。一揆をおこしたり、ええじゃないか運動をおこしたりする気概がない。

じゃあ果たして日本人のおちょくり精神は消えちゃったのかなあと考えました。
いやいやまだ残っていました。そう、ネットの中にです。
よく言われるようにネットの情報は玉石混交で本当にクズみたいなものも少なくない。でも中には本当にユーモアのセンスのあるパンチのある一言をかましてくれるものもあるんですよね。

きっと江戸時代だって同じなんじゃないかと思います。私たちは今21世紀にまで残っている川柳や狂歌だけをみていますから「江戸の人はすげえなあ」と思ってしまいますけど、きっと江戸時代にもどうしょうもない箸にも棒にもかからないような川柳ってあったに違いありません。

なんだか暗い話題の多い世の中なので、せめて明るくお上をおちょくるような気持ちの余裕だけは持ち続けたいですね。


what's "my wife's camera"?

No comments:

Post a Comment