2010-11-27

王さんと広島カープと親父と。



文芸春秋の王さんのインタビュー記事が面白かったです。
最近でこそサバサバした王さんという実像も出るようになってきていますが、王さんといえばどこか神格化された印象がありました。太陽のような長嶋さんに対して日本刀を振って一本足打法を完成させたストイックな王さんという風に。

その王さんがサバサバと自身の人生や長嶋さんに対してどういう思いを持っていたかについて語っています。中でも国籍の問題で国体に出られなかったことに関するくだりがなかなか王さんらしくていいんです。

いわく甲子園にでられなかったのなら悔しかったろうけれども、国体だったので大して悔しくなかったと。しかしインタビュアーの松下茂典氏が王さんに自著『回想』の中で「今までの四十年の人生で、私が一番傷ついたのは、この時だ」というくだりがあると指摘すると「そんなのあったかなあ」おかしいなあというような様子になるんです。きっと根っからの楽天家なんだろうなあ。だからこそ色々な辛いことを乗り越えて大成してきたのでしょうね。

私が始めて王さんのことを意識したのは日本に帰国したばかりの1979年。知り合いのおばさんの家でのことだ。テレビに王さんが映るとおばさんは「この人はホームランをたくさん打つ人なのよ」と私に教えてくれた。すると果たしてその打席で王さんは後楽園球場のライトスタンドに軽々とボールを運んでしまいました。

当時は王さんに限らず巨人の人気は絶大でした。長嶋さんはすでに引退していましたが、原っぱで子供たちが野球するときはやはり背番号3のサードの人気は特別のものがありました。

しかしなぜだか私は巨人ファンにはならず広島ファンになりました。79年には山本浩二、衣笠、高橋慶彦、大野、山根、北別府などの名選手が揃っていてカープが優勝したということもありますし、たまたまNY時代から知っている家族の知り合いに広島出身の方がいたということもあります。

とはいうものの普通に考えれば巨人ファンになるのが自然だったでしょう。ましてや親父も巨人ファン。当然「巨人はいいぞ」というようなことをそれとなく言ってきたわけですが、私は頑として「カープ」といって聞きませんでした。

当時の私が何を考えていたかよく覚えていませんが、おそらく「親父に懐柔されないぞ」というように思っていたと思います。
しかし恐らく親父にしてみれば懐柔などというような大仰なことは考えておらず「なんでまたカープなんだ、わが息子ながら訳わかんねえなあ」と思っていたことでしょう。

私自身にはまだ経験はありませんが、おそらく全国で子育てをしている親御さんは日々「わが子ながら訳わかんねえなあ」ということの連続なのでしょうね。

文芸春秋の王さんの記事を読みながら30年前の親父の気持ちをちょっと慮ってみたりしました。


what's "my wife's camera"?

No comments:

Post a Comment