2010-11-20

「いじめられた」と思えばそれで「いじめ」は成立するのか。




さていじめ問題、昨日からのつづきです。

高校時代経験したふたつの事件から、「被害者がいじめられたと思えばそれはいじめとして成立している」といういじめの定義に対して心から賛同しきれないという話です。

ある日の授業が終わった後、仲のいい友人で体のデカいTが別の友だちから「おい、ブタぁ、部活いくぞ!」と呼ばれ「おう、すぐに行くから先いってて」といい支度をしていました。するとその友人T(要はデブです)のもとに授業を終えたばかりの先生が慌てた顔をして近づいてきて「おい、T大丈夫か?いじめられているのか」と聞いてきたという話です。

この話はT本人から笑い話として聞いたのですが、たしかに「いじめられたかは被害者の意識次第」という定義ですと、仲のいい友だち同士のふざけ合ったあだ名のつけ方にさえ先生はびくびくしなければいけません(ちなみにTと「ブタ」と言ったKとはテニスのダブルスのパートナー)。高校時代とかってバカなあだ名つけて楽しんだりするもんですよね。長髪にしていた奴は「お前、ジョン・ボンジョビみてえな髪型だな」と言われたのがきっかけで似ても似つかないのに「ジョン」と呼ばれていたし、失敗パーマをかけてきた友人は「なんだそのサザエさんみたいな髪型は」と笑われしばらく「サザエさん」と呼ばれていたりしました。

もちろん呼ばれた方は「やめろよ、その呼び方」とか言ったりしますがそれもじゃれ合いのうち。そういうものにさえ神経質になって生きていかなければいけないのはちょっといかがかというか、そういうホモソーシャルなじゃれ合いこそが学校生活の楽しいところじゃないかと思うのです。それは強者の論理なのかなあ。

それからもう一つの事件はもう少し深刻なものです。
昨日の投稿が思ったよりも反響があったので、事実関係にできるだけ間違いないように詳しく書きます。

ある日の昼休みある友人Xが友だちに話があり彼の席にいきました。Xは通路に立ちその友だちと話していたのですが、話しだすと通路の反対側の机に軽く寄りかかるような体制になりました。その席に座っていた同級生Aはちょうど弁当を食べていたので「おい、邪魔だからどけよ」というようなことをいいました。すると寄りかかっていたXは「ちょっと待ってすぐ終わるから」といって話をつづけました。ふたたびAが「どけよ」といってもXが「うるせえなあ、すぐ終わるから待ってろよ」といった具合に軽くいなすと、弁当を食べていたAがいきなり箸をナイフのように持ち、Xの顔面めがけて突き刺していきました。

幸い箸は目を数センチはずれ、血はでたものの大事には至りませんでしたが目に刺さっていれば間違いなく失明という大変な事件でした。一部始終を近くで見ていた私から見るとどうみても箸を刺したAの行動はあきらかに発作的な唐突さで、正気の行動にはとうてい見えませんでした。

しかしこれには実は裏というか背景があったようで、Aには「いじめの被害にあっている」という被害妄想があったようなのです。彼は親とともに学校側に「いじめにあっている」とクレームをつけていたようなのでした。

あまり軽率なことはいえないかも知れませんが、同級生のひとりとしてみるとAがいじめられていたようには全く思えず、また彼自身とりわけいじめの対象になるようなタイプではない奴に思えました。学校側も事態を深刻に受け止め調査をしたようですが、特に何も散見されずほとほと困っていたようです。しかしいじめの定義が「被害者がいじめられていると思う」ということなら彼はいじめられていたことになります。

ここでポイントは二つあります。ひとつは周囲の誰が見てもいじめられているように思えない状況でも、「いじめられている」と本人が思えばいじめになってしまうならいじめは防ぎようがなく発生してしまうということです。
もしこのAのケースで「Aがいじめられていると思っているからAはいじめられていた」と認定されたとしましょう。AがXを箸で刺した一件は大騒ぎにはなりましたが、大きな騒動にはなりませんでした。つまり学校内の騒ぎで収まり刑事事件にはなりませんでした。

しかし今大人になった感覚でみるとあれは傷害罪が適用されてもおかしくはありません。Xも悪いところがなかったとは言えなくはありませんが、Aのことをいじめていた事実はありませんし、少なくともあわゆく失明させられるというようなとはまったくしていないと思います。

でももしそれが「いじめが原因」「AはXにいじめられていたと常日頃から思っていたので、少しのことをきっかけに過剰防衛した」ということになって失明事件になってもAが何も問われないのではあまりにおかしいと思います。

二つ目の問題はいじめの定義に対する問題からは少し離れてしまいますが被害妄想の問題です。昨日も私の小学校時代の体験として書きましたが、一度いじめを受けると周囲の些細な行動が自分に対するいじめなのではないかと被害妄想が膨らんでいくのです。Aのケースではいじめがあったようには到底思えませんでしたが、彼がいじめられてしまったと思い込んでしまったことによって被害妄想が膨らんでしまったのは看過できません。

もし自分がいじめられていると常日頃感じていたら、本当に上記のような他愛ないような日常のどこでも起きているような事柄にも過剰反応して却って大きな事件が生じ得ないとは限らないのです。

現場に居合わせたものとしてはAとXの件の非はほぼすべてAにあったと思います。Xは当時は学年一の札付きというように思われていたので、当時の父兄の間でこの件がどのように理解されていたかわかりませんが、少なくともXが突発的な非常に激しい暴力をうける理由はまったくなかったと断言できます。

ですが、AとXの関係の他で被害妄想をこじらせてしまったAに対するケアはやはり何かしら必要だったのかも知れないと思うわけです。そのケアの主体が学校なのか家庭なのかはわかりません。でもあのような狂気の沙汰としか思えない事件が起きたという事実は重く受け止められるべきでしょう。

+++++

色々書いてきましたが、私とていじめ問題に対してなんの提言はできません。私が今さらいじめを苦に思い悩むということはあまり考えられないでしょう。そうなると目下子供のいない私よりもいじめの現場に近い生徒や先生、そしてお子さんのいらっしゃる方々にとっての方がいじめはずっと深刻な問題でしょう。

そういう方々に対して私が軽率に申し上げられるようなことはないのですが、それでも昨日申し上げたように「二十歳をすぎるといじめられっ子よりもいじめっ子の自殺率の方が高い」、いじめっ子の親こそ自分の子供の行動に気を配るべきだという考えは将来親になるかも知れない身としては肝に銘じておきたいと思っています。

+++

いじめは本当に胸糞悪いです。
とくに日本で多く見られる集団無視とかのいじめは本当に頭にきます。

子供は残酷です。異物があるとすぐにいたぶります。
でも少なくとも親が異物をいたぶる自分の子供を保護するのではなく、厳しく叱責する社会がくればと心から思います。

嗚呼、いじめの問題は本当に難しいですね。
とりあえず読みかけの川上未映子の「ヘヴン」でもきちんと読み終えて、またあらためて考えてみたいと思います。


what's "my wife's camera"?

No comments:

Post a Comment