2010-11-18

「おめでとう」という名のラブレター。




アートとはなんだろう。
「アートがわかりゃカッコいいんじゃねえか」と色気づき始めた頃から常に疑問に思ってきた。
確かにファインアートといわれるものは何となくいい。少なくとも技術的にすごそうだということはなんとなくわかる。しかしコンセプシャルアートなどのモダンアートを見ているとわけがわからなくなってくる。

よくわからない真ッピンクに塗られた壁とかトイレの便器と脱ぎ捨てられたパンツのオブジェとか、それらを意味深なしたり顔で鑑賞しなければいけないのかと思うとちょっとアートも面倒くさくなる。

しかし次第にモダンアートも変わってきたのだろうか、それとも私自身が年を取ってしまい小難しく考えるのが面倒になったのか段々モダンアートの素晴らしさにも気づくようになる。

それらの大きな特徴のひとつは写真やネットで見ても絶対に真価がわからないということ。これは私の現代アートに対するひとつの回答だが、「体験(experience)」こそがモダンアートのひとつの大きなテーマだ。もちろん一枚の風景画を見るということも圧倒的な「体験」になりうる。作者が作品の裏にこめた膨大な背景や制作意図を知るのもとても大切だ。

しかしテレビに始まり、インターネットの出現以降世の中に溢れ返る情報量が圧倒的に多くなってしまった現在、本物をみて体験することがアートを味わう最高の贅沢だと思うようになった。それゆえに本物をみて初めて味わえるアートこそを珠玉と思うようになった。作者はすでにデジタルでの複製可能性を熟知し、その上でそれを凌駕して人々の心を揺り動かそうと挑戦しているのだ。

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もともと音楽的才能は親譲りの卓越したものがあった。嗅覚には動物的鋭さがあった。そして美しいものを捉える独自の感覚、英語でいうところのeye for beautyは色々な人に今でも指摘される。

美に対する独自の強い執着があるゆえ、写真家として一定以上の水準に達するのはむしろ必然だ。しかしそこからどこへ行く、どこへ行きたい。

写真の技術はこれから勉強をすればする程、いくらでも巧くなることもできるかも知れない。
「美しい写真」はアートだろうか。デジカメ全盛の昨今、「美しい写真」「キレイな写真」はネット上で驚くほどたくさん見つけることができる。

その頂上付近に名を連ねるだけでも十分なチャレンジだ。技術的に研磨を重ね、その"eye"をフルに活用しなければいけない。そして誰もが美しいと思える写真を撮ることは素晴らしい達成だ。

しかしその時君の音感に踊る耳はどこにいるのだろう。くんくん何でも嗅ぎ取る鼻は退屈をもてあましていないだろうか。そして何より色々なことを考えては心を痛めるその頭と心は出番をまって手持ち無沙汰ではないだろうか。

誰にも切り取れないような美しい瞬間を切り取るという20世紀のすべての偉大な写真家が挑んできた課題に挑戦するのはエキサイティングだ。

他方、写真とは何かと考えに考え、それを余人には再現できない自らの五感だけを頼りに再定義し形にすることができたらそれはひとつの奇跡だ。

君が今後どちらの道を選ぼうとするのかはわからない。

でも君の作品が"Creative Hands"に入選し、今晩色々な作品やその作家たちとオープニングレセプションで出会えたことは、先月の直島訪島と並んで今後の君の作家としての方向付けに少なからぬ影響を与えていくのだろうと思う。

"Congratulations"

今晩、数多の人が何度となくこの言葉を君にかけてくれた。
今後君がどのような道を歩もうとしても、環境と状況の許す限り、できることもできないこともあるだろうが、私は君を全面的にバックアップしていく。

今日は本当におめでとう。

what's "my wife's camera"?

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