2010-10-05

とてもとても個人的な映画"The Social Network"



what is "my wife's camera"?

昨日のポストで映画「The Social Network」の評を書いたのですけど、その中で「映画の本筋とは別のところで心を揺さぶられた」というようなことを書きました。今日はそのことについて書きましょう。

映画の筋は昨日のポストをみて頂くとしていきなり本論に入りますけれど、主人公のマークがFacebookを立ち上げ、それがNapsterの創始者ショーン・ファニング(余談ですが、映画ではジャスティン・ティンバーレイクがこの役をやっています。実物とはかけ離れているのですが、なかなかいい味だしてます)認められてどんどん昇り調子になっていく展開があるんですね。

もともとはオタク二人で始めたビジネスだったのに、気づけば大学内でちょっとしたセレブになってインターンを大々的に募集するイベントをしたり、ショーンと一緒に西海岸の最先端のクラブでモデルたちと一緒に飲みながらどんどんビジネスの可能性が広がってきて高揚感に包まれていったりするんです。

この展開を見て、私自身も高揚してしまったんです。
学生時代とかの若かった頃の感情を思い出して興奮してしまったんです。

もちろんマークは天才で、私はただの若者でした。でも映画の前半では「まだ何もなしえていない」という点においてはマークと同じ若者でした。そして「まだ何もなしえていない」ということは若者にとって「これから何事でもなしうる」ということと同義でもあります。

そして恥ずかしながら私は自分が常ならぬ存在になれるんじゃないかと信じ込んでいました。羨望をうける成功者になるはずだと思い込んでいました。だから何か少しでもいいことがあったり、人があまり経験しない華やかなことを経験したりすると高揚し、自分には特別なことができるかも知れないと思っていたのです。

まあ、これは別に私に限らず多くの若者が見る夢かも知れません。だから、マークが昇りつめていくシーンをみて高揚したとしても「枯れ掛けのおじさんが昔を思い出して興奮してるだけ」と片付ける人もいるかも知れません。

でも私が揺さぶられたのは興奮そのものではありませんでした。それは興奮してしまった、という事実だったのです。

立身出世の物語に興奮するというのはよくあることだとは思うのですが、私が今から五年前にグアムに来たのはそういう価値観と完全に訣別したからこそだったはずでした。

証券会社と広告代理店という華やかだけれどもどこかインチキくささを感じさせる職業に従事し、その職業の素晴らしさや虚しさを自分なりに理解し昇華した上で、「家族」とか「足ることを知る」価値の素晴らしさに気づき母に請われるままに東京の真ん中からグアムという田舎島に来たのです。

そして私は心からそれでいいと思っていました。それは別に資本主義を否定してのことではありません。今でも誰かと議論をすれば「お前ネオリベだな」と言われるかも知れません。広告という仕事は今でも好きで、自分にとても合っていると思います。

グアムに来たからといって毎日椰子の木の下でピニャコラーダを飲みながらウクレレを弾くという生活ができるわけでもありません。むしろ年間で二日しか休みのない店を切り盛りし、仕事もプライベートもあまり隔てのない24時間を過ごすような生活です。その割には所得も高いわけではなく、まとまった休みも取れなければお金もないということで妻にはいつも迷惑をかけてしまっています。

でもそれでもいいと思っていました。足ることを知りながら、家族が近い形で協力し合っていくことがいいと思っていました。だから時折「どうやったら一攫千金を得られるか、いつもアンテナを張り巡らしている」というタイプの人に会うと、正直言って下品で心の貧しい人だなあと思うようになっていたのです。

そして「オレは『カネ、カネ』という俗世間から一歩上にいったんだ」というちょっと思い上がった気持ちになっていました、正直言うと。さまざまなところで限界をみせている資本主義の次のステージにひとりいるような気にでもなっていたのでしょうね。

そんな状況がしばらく続いた後での"the social network" でした。マークのステップアップに対する同調でした。興奮でした。

これはちょっと堪えました。それは必ずしも「オレはまだまだ解脱できていないんだな」という種の動揺だけではありません。同時に「ひょっとしたらこういうものに対する高揚ってオレが理性で押さえつけていただけで、そういう本能的な競争意識というものが生来自分には備わっていて、それを希求する方がより自分らしく生きるということなのかな」という自問が生じてしまったのですね。

これは動揺します。
つまり最近の自分はいい人ぶって自らを騙しているから、本来の自分の長所までも殺してしまっているのではないか、という自問が生じてしまったのです。

私は今グアムで商売をやっていますが、5年後、10年後にはどこにいるかもわかりません。そうなったら経済的にどうなっているのかももっとわからない状況にいます。

そういう状況の中で、自分が自分を偽って生きているかも知れない、お前きれいごとだけを並べてこれから家族を本当に養っていくつもりなのか、という問いを突きつけられるのはやはり動揺します。

そしてこの映画は結果としてそういう問いかけを私にしてきたのですね。
だからこの映画は私にとって個人的に特別な意味をもってしまいました。

といっても昨日観たばかり。その問いかけについて私に明確な答えがあるわけではありません。それこそ映画やマンガみたいに急に道が拓けてハッピーエンドになるっていうような都合のいい話はあるわけないんですよね。

だから私はこれから一生懸命自分なりの回答を探していきます。
いつかここでその答えを堂々と発表できる日がくることを祈りながら。

No comments:

Post a Comment