2010-10-04

【映画評】"The Social Network"



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映画の評価の方法って色々あると思うのですが、どれだけ人々の心を揺さぶったかというのも大きな指標になります。揺さぶるといっても不安にさせるということだけでなく、嬉しい方向や哀しい方向や恐怖の方向でも人々の感情を揺さぶることができればある意味では成功したといっていいでしょうね。

そういう意味では「the social network」は私に対してかなりの成功を収めました。最近観た映画の中では一番心がざわめきました。といっても私が揺さぶられたのはこの映画の本筋からはいささか離れたところにある個人的感情からでした。

しかしいくら個人的なものとはいえ、デキの悪い映画に感情をゆすぶられるはずもありません。そして本作もまごうことなき秀作です。

話の筋自体はいたって単純です。ハーバードの天才プログラマーが知り合いのアイディアを盗みFacebookを友人と一緒につくり、訴訟されるという話。途中友人との仲違いやナップスターの創立者との出会いなど様々なこともおきますが、基本的には訴訟がどうなるかという話です。

しかしこんな単純な話でありながらスピード感たっぷりに最初から最後まで観客を退屈させずに楽しませることができたのはまさに監督のデヴィット・フィンチャーの手腕だと思います。

先ほども書きましたが、物語自体は実話をベースにしているということを除けばかなり平板です。その物語に緊張感を持たせるためにフィンチャーはさまざまな対比構造を盛り込んでいるのです。

いきなり出てくるのがナードジョックスの対立です。主人公のマークはいわゆるナード、つまりオタクです。彼が女の子にフラれて男しかいないむさ苦しい部屋でパソコンに向かっているとき、ジョックスと呼ばれるスクールヒエラルキーの頂点に立つメジャー系の男の子たちはキレイどころの女の子たちを集めて華やかなパーティーに興じているというところから映画は始まります。

ナードが一発逆転してジョックスの鼻を明かすというのはアメリカ映画の定番中の定番。演出的にも明確に対比されているので観客は自然とその構造を意識して緊張感をもつわけです。でもこの映画はそうじゃないんですね。その対立自体に大きな意味はないんです。確かに結果的にマークがアイディアを盗み訴訟沙汰になる相手は典型的ジョックスなのですが、ナード対ジョックスという構造自体は物語の推進力にまったくなっていないんです。

この映画はこういう小さな対比がたくさんでてきます。東海岸と西海岸、エスタブリッシュとIT長者、現在と回想、双子の兄と弟、勤勉とマネーゲーム、まじめと享楽。どれも巧みに映画の中に盛り込まれています。でもどれも物語の決定的な構成要素ではなく、むしろこれらすべての対比構造を集合させて基本的には大して起伏のない話を面白く見せているんです。そのためそれらの対立構造については一切の価値判断がなされません。

ジョックスが鼻持ちならないと言ってるわけではありませんし、マネーゲームはよくなく、汗水垂らして働くべきだともいってません。ただ淡々と対比させていくんです。その結果観る人によってはIT長者は下品だとか思うかも知れません。でも監督は事実を描くだけなので、押し付けがましくない。抑揚が利いていて素晴らしい演出です。

そこでちょっと言及しておきたいことがあるんですけれど、対比構造のひとつに行動規範というものがでてきます。マークを訴えるエスタブリッシュの双子のジョックスが出てくるのですが、彼らは名門の出で当然優等生然とした振る舞いをします。それに比べてマークはプログラミングのことしか考えてなく、服装もだらしなくて大学の懲罰委員会でも弁護士との話し合いでもひどい態度をとるんです。

これを受けて「Facebookなんてインターネット上のコミュニティーを築き上げるものは、人間同士のリアルのコミュニケーションをとることのできないパラノイアだ」というコンテクストでマークのことを解説するインターネット性悪説的批評家がいるんですが、これは明らかに的外れな批判ですね。

映画でははっきりと言及はしていませんが、おそらくフィンチャーはマークのことをアスペルガー症候群として描いているように思えます。アスペルガー症候群は発達障害で、これを持っている人は人の気持ちがわからないことが多々あり、コミュニケーション能力がひどく低いことがあるんです。映画上のマークはちょうどそういう感じなんです。

実際のマーク・ザッカーバーグにこの症状があるのかは知りませんが、映画上でそういう人物に描いていることによって物語は時に緊迫し、時にコミカルになっています。このキャラクターがフィンチャーの発明だったら大したものですし、そうでないとしてもとても効果的に描けています。

そういう見事な演出を積み重ねて物語りは進んでいきます。ただやはり物語のラストはとても地味なんですね。
そこをどう描くか。これはとても難しかったのではないかと思います。

若干のネタバレになりますが(といっても物語上は何の支障もありません)、ラストは猛スピードで進む、もはや自分ひとりではコントロールしきれないものの中心にたってしまった史上最年少の億万長者であるマークが、損なわれてしまった何かを取り戻そうと、それが決して叶わないということを知りながら無気力にパソコンに向かい続けるという形で終わります。
ロストジェネレーションの文学にも通ずる静かで美しいエンディングです。

そう、冒頭でこの映画は個人的な映画だと申し上げたんですけど、そういうの抜きにしても素晴らしい映画です。

さて次にどこがどう個人的にはまったのかということを書こうとしたのですが、ちょっと長くなってしまったのでそれは明日に回すとしましょう。

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