2010-10-24

官僚が教育改革ができないわけ。




ピーター・バラカンさんのラジオ番組のPodcastで田原総一朗さんが出演され、日本の教育の問題点について語っていました。

教師が生徒に教えるだけでディスカッションが少ないとか、教育委員会と文科省の歪つな関係とかを語った上で「結局文科省の官僚が教育の現場を知らないからだ」と糾弾されていました。

なるほど、そのとおりでしょう。
そのことは多くの人が指摘していると思うのですが、官僚が教育改革ができない大きな理由であまり語られていないことがもうひとつあると思うんです。

それは「人は誰しも自己否定はしたくない」ということです。

前にも書いたと思いますが、官僚を官僚たらしめる正当性というのは結局彼らが超難関の国家公務員試験の一種に合格しているという事実だけです。

そしてそれに受かるというのは実際かなり大変なことです。ちょっとステレオタイプかも知れませんが、合格者の多くは小さい頃から同級生の中では群を抜いて優秀な成績を収め、進学校に進み、東大に入学しているような人です。

今はどうか知りませんが、少なくとも私の学生時代は東大の優秀な文系学生にとっては官僚になるというのが王道でした。一般企業に就職することを「民間に行く」というとてもいやらしい表現があったくらいですから。

なにはともあれ、キャリア官僚はとてもとても優秀な人ばかりなのです。そしてその「優秀さ」は田原さんをはじめ、多くの方々が「前近代的」とか「クリエイティビティーに欠ける」という教育の中での優秀さだったわけです。

つまり官僚にとって「日本の教育はだめだ」と言われることは「お前らの優秀さはダメな制度の中でのものだ」と言われているようなもので、制度そのものに大きなメスを入れるのは一種の自己否定につながるんですよね。これは官僚じゃなくてもつらい。

だから無意識に「今の制度のままでも正しく努力すれば俺たちみたいに優秀になれるはずだ」という気持ちが働いてしまってなかなか抜本的な問題解決ができないんじゃないかなあと思うんです。

やっぱり同じ東大卒でも藤原和博さんみたいに「民間」で鍛え上げた人の血ももっともっと教育現場と制度改革のディスカッションの場に入れなきゃだめですね。




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