2010-09-29

官僚たちの秋。



文芸春秋の村木厚子さんの手記を読んだ。

まあ、普通に考えれば検察のありあえないほどの杜撰さと非道さと恐ろしさに慄く記事なのだけれども、同時に少し安心もした。日本の官僚も捨てたものでないと。

手記から伝わってきたのは村木さんに対する好印象だった。仕事にやりがいを感じ誇りを持ちながら一生懸命に働いてきた女性官僚の像が浮かび上がってくる。もちろん取材した江川紹子氏や編集の意図もあるだろうが、その印象はあたらずとも遠からずなのではないかと思っている。

村木さんが逮捕された直後、ラジオ番組のニュースコーナーでそのことが報道されると、ゲストで来ていた森本卓郎氏が「個人的にこの村木さんのご夫妻を知っているんだけど、そんな不正をするような人じゃないんんだけどなあ」としきりに言っていた。

正直言うと私はアナリストとしての森永氏の意見に反対なことも多く、個人的にもあまり得意な人物ではなかったので「自分の知り合いだとそういう風に主張したがるんだ」とまんまと検察の意図にのる形で発言を冷ややかな気持ちで聞き流していた。

しかしその発言はどこか引っかかっていた。そして今回の事件の全貌が明らかになり、手記を読んだ今となっては私の中で森永氏が正しかったという結論になり、村木さんのような素晴らしい人間が官僚の中にいることを嬉しく思うようになった。

私の高校の同級生で官僚になったものが少なからずいる。彼らの多くとは卒業後にはあまり交流がないが、少なくともほとんどの奴らは高校時代は成績優秀で真面目に国をよくしたいという気持ちを持っていた。

もちろん大学進学後変わった奴もいるかも知れない。真面目で勉強ばかりしてきた純粋培養なので組織の論理に与されやすい奴もいるかも知れない。
それでも彼らのすべてが世の中の批判の対象となっているような酷い官僚になっているとはどうしても思えないのだ。

そんなことを日頃から考えていたところに村木さんの手記。やはり官僚の中にも初心を忘れることなく高邁な理想を掲げて日々身を粉にして働いている人がいるんだと思え安堵する。

もちろん「ほとんどの官僚は優秀で国のために一生懸命働いているんだから、過ぎた官僚批判はすべきではない」というようなことが言いたいのではない。

国益よりも省益を優先させる体質や過ぎたるエリート意識、実社会の現実を鑑みない頭でっかちなところや、省内で不正があっても自浄されないところなどは全力で正さなければいけない。

しかし官僚という機能は間違いなく必要なのだ。そしてそこに優秀な人材が集まらなくては日本はますます駄目になってしまう。

私たちは安易な犯人探しや全体主義的バッシングはやめ、皆がもっと建設的になる必要がある。
もういい加減官僚の悪いところをあげつらって喜ぶのはやめ、悪いところがあればどうしたらそれは改善されるかという議論を中心に据えるべきだ。

No comments:

Post a Comment