2010-09-10

動物愛護。


ちょっと前にギリシャで動物愛護団体がミンク5万匹を逃がしたというニュースを見た。

こういうのどうだろう。彼らの主張は大体想像つくが、動物愛護の正義の顔をした欺瞞にしか思えない。

百歩譲って毛皮用のミンクは無意味な金持ちの贅沢品だからまったくもって不要な残酷な産業だ、という主張を受け入れたとしよう。それでも方法論が致命的に間違っている。こういう方法だけはとってはいけない。もちろん彼らに言わせれば穏当な方法をとっていたのではいつまでもたっても事態は改善されない、ということになるかも知れない。しかしテロのような行為をし、億単位の被害を出し、5万匹のミンクを逃すために(毛皮産業サイドは猛暑のためほとんどが死んだと主張している)5人の人間が首を吊ったり、生きていけなくなる想像力はないのだろうか。

もし「正義のためにそれくらいの犠牲は致し方ない」というのなら私は断固その団体を糾弾する。
地球環境や自然は大切だが、人としてまず大切にしなければいけないのは人だと私は思う。

異論のある人もいるかも知れない。
ではこういう問題はどうだろう。

またまたTBSラジオの「Dig」のPodcastingを聴いていた。テーマは「野生動物と人はどう向き合うか?

昨今、野生動物が人里に降りてきて及ぼす被害が深刻になっているという問題を扱っている。

その中で麻布大学獣医学部講師の南正人さんが次のようなことをいっていた。
「(一言で害獣の駆除といっても)非常に難しい問題がある。駆除をするとものすごい量のいやがらせのメールがくる」

このような行動をする人はどうだろうか。
被害は市町村によって違うが、億単位に及ぶところもあるという。
農家にとっては被害は深刻だ。

それでも命あるものである限り動物は駆除をしてはいけないのだろうか。

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以前、私は農業体験プログラムに参加したことがあった。そこでの体験は私の行動指針を変えた。端的にいうと、何かあると「もし私が農家だったら」という観点でものをみるようになった。

農家の仕事は大変だ。肉体的にきついといことももちろんある。そしてそれと同時に自然を相手にしなければいけないのだから、自分ではコントロールできない要素が大きいという大変さもある。
それを乗り切るためにはこつこつ努力していくしかない。同時に家族全員が手を取り合って協力しながら生きていくしかない。身内で手を取り合って、不可抗力である困難に対して我慢をしながら乗り越えていく。生きるということはそういうことではないかと思うようになった。

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ミンクを逃したり、害獣の駆逐を非難する人はそういうリアリティーを生きているのだろうか。

動物愛護団体の人は「私は完全なベジタリアン」というかも知れない。でも彼らは有限な燃料を使って、多額のお金をつぎ込んで世界中を飛び回っている。ひょっとしたらプロジェクトが成功するたびにシャンパンを空けるかも知れない。彼らに動物として生きていくリアリティーはあるのだろうか。

害獣の駆逐を非難する人で、肉を食している人はいると私は断言する。彼らは好きなだけ肉を食べるかも知れない。でも彼らは野菜や穀物を食べても生きていけるはずだ。しかしそうせず猟師を非難する。彼らの食べる食肉は欲望のままだろう。でも猟師は決して必要以上は捕らない。

みなにベジタリアンになれといっているのではない。肉を食べてもいいと思う。なぜならそれが生きるということだから。
そう、生きるということは残酷なこと。時には殺生を伴うかも知れない。それでも必死に生きることは決して悪いことだとは思わない。奪ってしまった他の命に感謝を示し、必要以上の殺生をしない。それこそが大切なのではないか。

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