2010-09-08

新しい感情。



痛い、嬉しい、悲しい、気まずい、興奮する、辛い、痒い、眠い。

人間には様々な感情がある。そのうちの多くは決して生まれもって備わっているものではなくて、社会の中で経験を培っていくうちに得る。生まれたばかりの赤ん坊におそらく虚栄心はないだろう。小学生の二日酔いというのもあまり一般的ではない。中学生が老いへの恐怖で慄くという話を聞いたことはない。様々な感情は体験することによって生じるのだろう。

私は今37歳だ。これまで色々な感情を経験してきた。いいことも、悪いことも、恥ずかしいことも、誇らしいことも。これから先どういう感情をあらたに得るのだろうか。

37歳でも、73歳でもあらたに得る感情はあるはずだ。それはたとえば死への恐怖などというもののようにある程度の歳になれば広く多くの人と共有できるものであるかも知れない。でも他方で三島由紀夫が自害をするときに抱いた感情など余人には諮りがたい感情というものもあると思われる。

つまり一人前を気取っている四十路近くなってからも、これから先様々な新しい感情、時には想像もつかないような感情にぶち当たり戸惑い、苦しみ、そして喜んでいくのだ。

私が比較的最近になって新しく得た感情がある。
それは結婚に関するものだ。

結婚前の人は結婚にどういう妄想を働かせるのだろう。
運命の赤い糸で結ばれた人とのお伽噺だろうか。それとも同棲の延長線にあって、お互い多少不満とかはあっても「こんなもんかな」とい手打ち感覚を持っている人もいるかも知れない。

しかし目下の私の結婚生活はそのいずれでもない。

私も妻も30歳を越えてからの結婚だ。つまりそれまでは独身として好き勝手にやってきた。
自覚はなくとも30過ぎまでそれなりに働いてきて収入を得て、その上ひとりで暮らしているとなれば勝手気ままにもなるし、同世代の世帯もちよりも贅沢な暮らしをするようにもなる。

そんな二人がひとつの所帯をもつことになった。私がグアムにいたということもあり、妻は仕事を辞めた。私自身日本にいる頃と比べると収入は減っていた。そして妻はゼロ。

新生活は存外出費が嵩む。そんな台所事情を鑑みて「無理。高すぎ!」とか「本当の本当にそれ必要なの?」と買い物に行くたびで妻にいう私を「こんなはずじゃなかった」と妻は思っていたかも知れない。

わがままは経済的な面だけじゃない。生活様式にしても自分のスタイルというものは30も過ぎれば出来上がっている。
お互いに許せないところもあるかも知れない。相手のことを神経質すぎるとイライラすることもあるかも知れない。
そして時にはぶつかる。

でもそういう衝突を繰り返し、口論と話し合いを経て少しずつお互いの気持ちを汲み取って、そして次第に「夫婦」という一つのユニットになっていく。うまく二人の折り合いがついていく。ひとつのチームになっていく。

++++++

私の妻は美しい。
夫がそういうのはアホみたいだが、他人もみなそういうのだから間違いはないだろう。
だからこんなことを私がいうのは説得力がないのは百も承知なのだが、「結婚は恋愛とは違う。外見だけで決めては駄目だ」というお節介なおじさん、おばさんに100%の賛意を示したい。

「ひとつのチーム」を築き上げていかなくてはならい。そのとき、どういう人がパートナー、バディーにいいかが大事になる。英語でよく使われる「Partner」という言葉は言いえて妙だ(さすが数多くの恋愛の失敗から学ぶ離婚大国)。

結婚相手とは一緒に生活を苦しみ楽しみ、一緒に子供を生んで、一緒に経済的な心配をして、一緒に子供の教育とか恋愛問題を考え、一緒に老後の心配をするのだ。

その相手を探す営為こそ結婚。「結婚は惚れたとか腫れたとかそういうのとは違うから」という親戚のお節介ババアの言葉が胸に染みる。

でも考えてみると結婚適齢期といわれる二十代半ばなり三十そこそこにしてもそういうことを身にしみて理解して実行するというのはなかなか難しい。なればある程度までいいと思った相手がいたらエイヤと結婚してしまうこともまた仕方のないこと。

しかも更に性質の悪いことに相手の収入だとか家柄だとか社会的地位だとかいうものがよかったら、なんとなく勝利した気になっちゃう。羨望と祝福も受けるし。でも本当は「チームバディーとしての相性」っていうものが一番大切だったりする。

で、回りくどくなったけれども私が言いたいのは結婚はある程度まではギャンブルであるということであり、そのギャンブルに負けてしまうと悲惨な事態が訪れかねないということであり、そして目下幸せなことに今のところ私はそのギャンブルに勝っているように思えるということなのだ。

今一度顰蹙を覚悟でいうと私の妻は美しい。しかしそれが私の勝利の原因ではない。
奔放な性格をしているので相性が合わなければ最悪かも知れない。我慢をぎりぎりまで溜め込む傾向があるので、ガス抜きの勘所がわからないと爆発をさせてしまうかも知れない。

でもそれらはあくまでも性格とか個性と呼ばれるもので、いい悪いの類のものではない。ある人にとっては厄介とも思えるかも知れない彼女の性格でも私にとってはどうってことないことだったりする。

いや、ひょっとしたら最初の頃は気になっていたかも知れない。何せ私も30半ばまで独身で好き勝手わがままに生きていたのだから自分のデタラメさを棚に上げて妻にイライラしたこともあったのかも知れない。

しかし同時に生活をしていくにつれ彼女の心根の優しさなどの美点なども再発見し、自分が拘っていたり彼女に対してイライラしていたものが実は取るに足らないものだということに気づいたりしていった。

それに気づくと次第にすべてのものを建設的に解決するために、二人でスムーズに話し合うことができるようになってくる。もちろんその過程にはどちらかないし双方の妥協もある。でも互いが互いのことを尊重し合えていると確信できているからこそ、譲るべきところは譲れる。

そしてそういう風になったと気づいたとき「ああ、ひとつのチームになれてきたなあ」という気がしてきくるのだ。チームとして馴染んでいく感じ。これはまったくもって新しい感情だった。独身の頃、結婚というものに対して想像だにしなかった感情だった。そしていうまでもなくそれを体験することは愉快なことだった。

そういう新たな感情を私に体験させてくれた私のベターハーフ、妻に感謝したい。
入籍から丸4年が経ち5年目へと突入していく今日、あらためて感謝の気持ちを妻に送りたい。

ありがとう。

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