2010-08-29

クルマのブランド、自分のブランド。



初対面の人と待ち合わせすることになったとしよう。たとえば合コンの相手だったり、確定申告のために友人に紹介しのてもらった税理士だったり。その人が待ち合わせ場所にフェラーリとかロールスロイスで乗りつけてきたら、それはそれなりのインパクトはある。

合コン相手だったら「えっ、ひょっとしてカレってお金持ち?」なんて淡い期待を抱いてしまうかも知れないし、税理士だったら「フェラーリに乗るような税理士には、とてもじゃないけどオレごときじゃ相談なんてできない」と思うかも知れない。

そう思ってしまうのも仕方がない。フェラーリにしてもロールスにしてもそれだけ高価なものだしブランド力もあるし。でもそれ以外のクルマでも同じようなことはおきうる。ベンツやBMWはもちろんのこと、ミニクーパーにフィアット500、プリウス、はたまたRX-7やシルビアなど様々なクルマが持ち主を個性付ける。

だからこそ若い男子たちは自分なりの「憧れのクルマ」というものを持つのだろう(どうやら最近はそうでもないらしいが)。

しかし、ある点を越えるとクルマと持ち主の個性は逆転する。

わかりやすい例で考えてみよう。たとえばビル・ゲイツが日産のマーチに乗ってたり、中田英寿がダイハツの軽自動車に乗っていたとしよう。その事実が彼ら自体の評価を揺るがすことはない。

それは持ち主の個性(=評価)がクルマのブランド(=評価)を完全に上まっているからだ。

まあ上記の例はいずれの極端かも知れない。しかし極端ということは裏を返せば極端でないどこかでパラダイムが変換するポイントがあるということだ。つまり個人のブランド力の高さ故にどのような車にのっていてもその人に対する評価がぶれなくなるというポイントはあるはずだということだ。

もちろん著名人でなければピカピカのアルファロメオに乗っているのと10年落ちのサニーに乗っているのとでは人に与える印象は違う。しかし人がどう感じようが自分自身が揺るがなくなることは可能だ。

いわゆる「いいクルマ」に憧れた時期もあった。でも今は揺るぐことなくどのようなクルマでも飄々と乗りこなすことに憧れる。

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