2010-08-24

大企業に勤める利点。



最近若い人と話すと昔と比べて大企業志向が大分弱まってきているように感じられる。代わりに起業精神が高まってきている。これは素晴らしいことだと思う。私が学生時代は資格を取る人以外の人は大企業に就職することがひとつのゴールのような風潮があった。最近は大企業に勤めていても意欲的な人は隙あらば会社のリソースを使って自分のやりたいことを実現しようなどという野心的なことを考えている。

不況とは関係なく、構造的に終身雇用がデフォルトたりえない時代に突入した昨今、若い人が寄らば大樹の陰の意識を持たず、前のめりになってきているのは喜ぶべきことだろう。しかしだからといって大企業に勤める利点がなくなったというわけでもない。確かに「大きいところは安心」だとか、「福利厚生がすばらしい」などと言ってられるような時代ではない。それでも三つの理由で大企業に勤める意味はあると思う。

ひとつは学生でも就職活動のときに口にするだろう「大きな仕事」ができる可能性が中小企業よりも高いからだ。億単位のプロジェクトなんて中小企業じゃなかなかできないが、大企業ならば業種によっては入社数年ですぐに億単位の予算を管理することだってありうる。とりあえずこれも利点といえるだろう。

しかしそれ以上に意味が大きい下記の二つの利点が口にされることはあまり耳にしない。

まずは「システム」を学ぶことができるということだ。
「大企業の硬直化したシステム」という風に否定的なコンテクストで大企業のシステムが語られることがある。もちろんそういう側面も多分に存在するが、それだけで大企業のシステムを過小評価してはいけない。大企業が大きくなったのには必ず必然がある。そして多くの場合システムもその必然の一部なのだ。それは効率的な生産管理という場合もあるし、コーポレートガバナンスということもありうる。

これらを学ぶ意味は大きい。特にもし将来的に起業しようと思っているのなら効率的なシステムを学ぶことは何ものにも変え難い財産になりうる。なぜなら少なからぬ場合起業家が事業の拡大過程でシステムを軽視して壁にぶち当たるからだ。

起業家の多くはエネルギッシュで個人の能力で多くのものを解決する。そしてそういう起業家の中には「システム」を「クリエイティビティーの妨げ」とか「臨機応変で柔軟な対応の妨げ」と考えたりする。しかし会社が大きくなっていくと、業種にもよるが12,3人を超えたあたりから、個人技だけでは解決できない問題がでてくる。オーナーの目の行き届かない問題が生じてくる。

そのことによって生じうるリスクを軽減させるのが優良なシステムなのだ。

もちろん大企業のすべてのシステムが優れているというわけではない。過去の一時期においては大きな意味を持ったものであっても時代や業態の変化にそぐわなくなってしまったものもあるだろう。しかし機能不全を起こしているシステムを目の当たりにして、なぜそういうものが生まれどうして機能しなくなったかを考える機会をえるというだけで大企業に勤める意義はある。

さて最後に挙げる利点は「働く」という行為に大きく関わる。それは嫌な仕事をしなくて済む確率が高い、ということだ。

まあ、こう書くとまず十中八九誤解されるだろう。「どんな会社だって嫌な雑巾がけをしなきゃならない」と。そのとおり。でもここでいう「嫌な仕事」はそういうことではない。

たとえば営業職だとしよう。
自社製品を売らなければいけない。その時、その製品に誇りを持てるか否かの違いは大きい。
「なんで他社の製品使おうとしてるんだよ、絶対ウチの製品の方がいいのに」と思って売るのと「ウチの製品、誰が買うんだよ。俺だったら絶対買わないよなあ」と思って売るのとでは営業成績に大きな差がでるのみならず、精神衛生に大きな差が出てくる。自分が惚れ込めないものを他人に売ろうとするストレスは想像以上に大きい。

社会人になって私が最初に気づいたのは学生時代と比して圧倒的に自由になる時間が少なくなったということだった。言葉を換えれば圧倒的に多くの時間を仕事に費やさなければならない。その仕事の大半が自分だったら絶対に買いたくないものを売りつける、というものであることのストレスを考えて欲しい。全うな神経を持っていたら磨耗する。つまり全うな神経を捨てるか、磨耗するかの二者択一になってしまうのだ。

それが大企業に勤めている場合はそのリスクは大幅に軽減される。たとえその会社が業界のトップランナーでなくとも大企業の製品なら多くの場合なんらかの美点がある。それは特定の機能の場合もあるだろうし、価格優位性ということもありうる。環境に対する配慮ということもあるかも知れない。とにかく闘えるポイントが往々にしてある。

人間とはよくできた生き物で、自分にストレスがかかることを避ける自己防衛本能がついている。だからもしその製品にひとつでも美点があるのなら、「それをオススメすることはお客様のためにもなる」と思い込むことができる。

でももしそういう美点がひとつもなかったらどうだろう。
繰り返しになるが、これはあくまでも確率の問題だ。中小企業でも世界に誇れる製品を出しているところはいくらでもある。でも大企業の方が美点のある商材を扱える可能性が高いというのも事実だ。

このことは私の個人的な体験に起因する意見だ。

私はグアムに来る前、広告業に従事していた。外資系の広告代理店に勤めていたとき、都合五つのブランドのAE(アカウントエグゼクティブ:ブランドの広告代理店側の窓口)として働いた。私のいた会社は日本では零細の部類に入ってもおかしくない規模の会社だったが、欧州では圧倒的な力を持っていたこともあって世界的に有名なブランドを扱うことが多かった。しかしそれらのブランドは世界的なものであっても、多くの場合広告業界的コンテクストでいうと有料クライアントというわけでもなかった。つまり大きな予算をかけてTVスポットを中心とした大キャンペーンを張るようなクライアントではなかった。

それでも私はそれらの仕事のほとんどを楽しんでやった。予算規模が小さくて会社的には利益が薄くとも、徹夜を厭わず全力でぶつかって仕事を楽しむことができた。それはそれらのブランドが好きだったからだった。ブランドの担当者がブランドに誇りを持って、なんとかその良さを世の中に広告したい(=広く告げたい)と思っているのが伝わってきたからだ。

しかしそれは担当した5ブランドのうち4つのブランドでの話だ。最後に担当したブランドはあるメーカーにとっても切捨て寸前のブランドだった。不明瞭なビジョンの上に立ち上げ業績が芳しくないので、原価を下げクオリティーを落としつつブランドの外面をリニューアルして何とか生き延びようといブランドの仕事だった。

この仕事ではメーカーの担当者も製品に対して何の思い入れもなかった。広告代理業を華やかなものと思う人もいるかも知れないが、基本的には他人の商品で相撲をとる業種だ。もちろんその役割は小さくはないが、もしその製品自体が本気で相撲に勝とうとしていないのなら広告会社の人間もうまくは踊れない。そしてそういう仕事は割り切った人ならそのブランドのことを考えずに自分の趣味に走り、まじめな人なら苦痛を抱えながら煩悶することになるのだ。

どちらの場合でも精神衛生的にはよくない。

それが大企業に勤めることによって、そのリスクが軽減できるのだ。

これは後ろ向きな理由に聞こえるかも知れない。事実こんなことを就職面談でいったら採用はされないだろう。でもこのことは無視できない大きな問題でもあると思う。

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というようなことを録画した「龍馬伝」を見た後にふと考えた。
リアルの放送を8週後れくらいで追っかけてきた「龍馬伝」、ついにあと一週で追いつくとこまで来てしまった。
見たいときにいつでも見られる自由がなくなるのがちょっと寂しい。

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