2010-08-18

経済成長なき幸福。



昨日に続いて経済のはなし。
最近色々な学者や"有識者"が「経済成長なき幸福」とか「経済成長なき繁栄」というような言説をしているのが目に付く。

しかし残念ながらこれは机上の理想論だ。ここで経済学の講釈を垂れるつもりもその能力もないが、体験からちょっとだけ言わせてもらう。
私自身大学を出て証券会社に入社したとき「株式会社は成長を前提としている」という研修を受けて驚いた。「利益が出ていればそれを確保するだけでいいんじゃないの?」と。しかし実際に自分で事業をやってみてわかった。死ぬ気で成長を目指さないと既存の利益の確保さえままならないと。
そしてみんなが死ぬ気でがんばっていくと結果としてイノベーションがあったり、各種生産性が向上したりして社会全体の余剰価値が上昇していく。それが経済成長。

「いやいや、そんな死ぬ気でがんばるんじゃなくて普通に最低限だけはがんばって、成長とかよりも人として幸福を追求するべき」という人もいる。そういう人は間違いなくマーケットで闘ったことのない人だ。誤解して欲しくないのは私はある個人が「仕事は程ほど、家庭やプライベートな時間を大切にする」というのを否定しない。それは素晴らしい生き方だと思う。ただし、それはそれが適うならの話だ。そして社会全体としてはそれは残念ながら適わない。考えてもみて欲しい。ここ10年間日本人はみんな必死で働いてきた。それでも経済成長はおろか、一歩間違えればマイナス成長にさえなりかねない状況が続いている。

だいたい「経済成長なき繁栄」などという人は「ワーキングプアの撲滅」を目指すようなひとのいい人が多いように思う。でもその二つは同時には成立しない。成長を目指すことを辞めた時点で日本は恐ろしい勢いで経済的に後退する。こうやってブログを書いているどころの騒ぎではない国になる。生き馬の目を抜きながら生きていかなければならない社会がやってきてしまうだろう。

「そうはいっても、別にこれ以上何かを犠牲にしてまで発展しなくても十分豊かじゃない?」
まったく持って同感である。私自身、身を焦がすほど欲しいものなど最早ないし、今の生活の中で足ることができないのならきっと生来の人間の機能のどこかがおかしくなったか麻痺してしまっているのだろうとさえ思う。
でも上の台詞を一日2ドル以下で暮らしている世界26億人の人に言えるか?そんな呑気な人はいない。彼らがより「豊かな」「人間らしい」暮らしをする、したいと望むことを頭ごなしに否定できる人なんていやしない。そしてそういう暮らしを支えるのは「経済成長」以外の何者でもない。

私は無邪気に「経済成長」を礼賛なんてしない。でも無邪気に「経済成長なき幸福」を謳ってしまうほどナイーヴでもない。

私たちはとても難しい舵取りを要求されている船に乗ってしまっているのだ。

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