2010-08-31

自国文化教育。



グアムは選挙の季節だ。今年の11月に知事選があるのでそこかしこで選挙モードになっている。

今日知事候補者、Calvo,Tenorio陣営のスピーチを聞く機会に恵まれた。時間は小一時間、総花的な概論で個別の政策の詳細については聞くことは適わなかったが、人材育成のコンテクストで教育の話しが少しでてきた。そのとき思った。
やはりグアムはもう少し原住民チャモロをの文化を重視する教育をすべきではないかと。

ご存知かもしれないが、グアムの先住民はチャモロ。しかし16世紀以来スペインやらアメリカやら日本に侵略され、固有の文化が希薄になっている。現在はチャモロは全十人の四割程度にしかすぎないが、それでも今一度チャモロの文化を見直すことは観光で立国している島としてはとても大切なのではないかと思った。

+++

経済活動といものは本来的に効率を指向する。そしてしばしばそれは画一性を意味する。通貨は単一の方が経済効率はいいし、関税などもない方がいい。多くの問題を抱えながらもEUが今なお解消されずに存続しているのは、その本質が経済連合にあるといことはその出自からしても明確だ。

世界経済がグローバル化していく中で経済活動がある程度画一性を帯びてくるのは仕方がない。テレビの生産ひとつとっても北米向け、欧州向け、アジア向け、アフリカ向けなどと個性を強く打ち出しながら生産するよりも同一規格で大量生産してしまった方がずっと効率がいい。iPhoneやiPadのように。

経済活動で画一化が避けられないのだから、なおのこと文化面では多様性を重視していかなければいけない。なぜなら固有の文化を守っていくことは単なるノスタルジーではなく、それは進歩発展にもつながることなのだ。

力学における位置エネルギーが高ければ高いほどエネルギーをもつのと同じように、多様性が豊かであればあるほど、差異が大きければ大きいほど新たな発展への活力となる。もちろんその差異は時には軋轢にもなりうる。そして経済活動はそういった軋轢を嫌うだろう。しかしもし人間が経済活動だけに生きるのでないのなら、私たちはその軋轢を前向きに受け止めていく姿勢をみせなければいけない。

だからグアムはチャモロ文化を守っていかなければいけない。

ここまで考えてふと思った。私は人様の文化のことを偉そうに心配しているけれども、翻って自国日本はどうなのだろうか。私たちは自分たちの文化の美しさを十分に守ろうとしているのだろうか。教育は若い人が世界中に自分が日本人であることを誇れるように施されているのだろうか。

ちょっと日本を賛美し、自国文化を守る尊さを謳っただけでネトウヨなどとネタ的につまらないラベリングをされるよう状態はそろそろ終わりにしなければいけないのではないだろうか。

グアムのチャモロ教育の心配をしている場合ではない。

2010-08-30

愛おしい迂闊さ。



店からくる電話の着信音は他の電話とは区別してる。宇宙ステーションで緊急事態がおきたときの警告音のような着信音にしてある。だいたい店からくる電話がうれしい電話であることなんてほとんどない。程度の差こそあれ、ほぼ間違いなく何かのトラブルの電話だ。だから着信音は緊急事態の着信音なのだ。もしそのトラブルがとるに足らず電話口で簡単に解決するようなものだったらホッと胸を撫で下ろす。でも残念ながらそうでないことも多い。ブィーンコン、ブィーンコンという着信音が鳴るたびに私は憂鬱と腹立たしさと祈るような気持ちで通話のボタンを押す。

週に一回だけ夜店に出ない日を設けてある。その日は妻と一緒に外食するのがなかば通例になっている。
今日はそのオフの夜だった。少しばかりお酒をたしなんで美味しく夕食を楽しみ、ほろ酔いで帰ろうとしているときに悪魔の警告音が鳴った。

"Hello"電話をとったその声はひょっとしたら不機嫌だったかも知れない。その不機嫌は次の瞬間疑問符へと変わった。
「もしもぉし、Tです」。

その声は中学高校の同級生Tのものだった。しかし彼は日本に住んでいる。どういうこと?頭の周りにクエスチョンマークが飛び交う。「あれ、オレの勘違い」「いや間違いなくTの声だ」、「日本からの電話?」「でも店からの警告着信音だったぞ」、「ひょっとしてグアムにくるって聞いていたのを忘れてた?」「いくらこの時期来訪者が多かったとはいえ、Tからの連絡は忘れないだろう」。飛び交うクエスチョンマークを一つずつ自答でつぶしていきながらもまだ状況を飲み込めないでいるとTは悪びれずにいった。
「驚かそうと思って内緒できちゃったんだよね」。

日本からグアム。

たった三時間半とはいえ、それなりのギャンブルだ。極端な話もし私が日本に帰っている時期と重なっていたら会えなかった可能性さえあった。あるいは人によっては「相手の予定も聞かないで押しかけるのはちょっと非常識だ」という人さえいるかも知れない。

それでもTはきた。リスクとか良識とかを考えず、驚かしたいという一身できた。その気軽さがうれしい。その迂闊さが愛おしい。

社会に出てから知り合った友人じゃなかなかこうはいかない。

「びっくりした?」私の反応が思っていた程でもなかったのか、Tは伺うように聞いてきた。
「超びっくりしたよ」私が答えると、Tはまだ顔面すべてをくしゃくしゃにして笑った。

ぼくらの年齢がまだ今の半分以下のときとまったく変わらない笑顔だった。

2010-08-29

クルマのブランド、自分のブランド。



初対面の人と待ち合わせすることになったとしよう。たとえば合コンの相手だったり、確定申告のために友人に紹介しのてもらった税理士だったり。その人が待ち合わせ場所にフェラーリとかロールスロイスで乗りつけてきたら、それはそれなりのインパクトはある。

合コン相手だったら「えっ、ひょっとしてカレってお金持ち?」なんて淡い期待を抱いてしまうかも知れないし、税理士だったら「フェラーリに乗るような税理士には、とてもじゃないけどオレごときじゃ相談なんてできない」と思うかも知れない。

そう思ってしまうのも仕方がない。フェラーリにしてもロールスにしてもそれだけ高価なものだしブランド力もあるし。でもそれ以外のクルマでも同じようなことはおきうる。ベンツやBMWはもちろんのこと、ミニクーパーにフィアット500、プリウス、はたまたRX-7やシルビアなど様々なクルマが持ち主を個性付ける。

だからこそ若い男子たちは自分なりの「憧れのクルマ」というものを持つのだろう(どうやら最近はそうでもないらしいが)。

しかし、ある点を越えるとクルマと持ち主の個性は逆転する。

わかりやすい例で考えてみよう。たとえばビル・ゲイツが日産のマーチに乗ってたり、中田英寿がダイハツの軽自動車に乗っていたとしよう。その事実が彼ら自体の評価を揺るがすことはない。

それは持ち主の個性(=評価)がクルマのブランド(=評価)を完全に上まっているからだ。

まあ上記の例はいずれの極端かも知れない。しかし極端ということは裏を返せば極端でないどこかでパラダイムが変換するポイントがあるということだ。つまり個人のブランド力の高さ故にどのような車にのっていてもその人に対する評価がぶれなくなるというポイントはあるはずだということだ。

もちろん著名人でなければピカピカのアルファロメオに乗っているのと10年落ちのサニーに乗っているのとでは人に与える印象は違う。しかし人がどう感じようが自分自身が揺るがなくなることは可能だ。

いわゆる「いいクルマ」に憧れた時期もあった。でも今は揺るぐことなくどのようなクルマでも飄々と乗りこなすことに憧れる。

2010-08-28

run, taro, run。



人はなぜ走るのか?
ひょっとしたら数多くの偉大なランナーがこの命題にすでに美しい答えを残しているかも知れない。
しかし凡庸以下のにわかランナーの私はこの問いの答えを断言しよう。

「人はなぜ走るのか?」
「それはランナーはバカだからだ」

そういう風に思わずにはいられないランニングを今日経験してきた。
グアムではほぼ毎週末ごとに5Kと呼ばれるランニングのイベントがある。5ドルかせいぜい10ドルの参加料を払って5kmのコースを走って、記念Tシャツをもらったり抽選で景品をもらったりするなかなかいいイベントだ。

普段はタモンやイパオ近郊の5Kが多いが今朝はマンギラオで開催された。マンギラオといえばグアム通のゴルファーなら誰しも海越えで有名なマンギラオゴルフクラブを思い浮かべるだろうが、本日のコースはまさにそのゴルフコース。

海を眼下に一望できる美しいクラブハウスを出て、カートウェイを通って海越えで有名な12番ホールを抜けてクラブハウスに戻るという美しいコースだ。

でもちょっと待てよ。「海を眼下に」のクラブハウスを出て「海越え」のコースを通るということは相当の標高差があるということか?そうその通り。その差100m。つまり5kmを走る間に100m下って、そして100mまた昇るというもの。

スタート直後から急な勾配の下り坂。スタート直前まで雨が降っていたこともあり、滑る足元を気にしながら走る。下る。下る。そして下る。軽快に下っていけば行くほど復路の登り坂への不安が募る。下りきって海面に平行して走る。件の12番ホール。ゴルフをするときは海を越えられるかとドキドキワクワクしながら迎えるコースも今日ばかりはこれから迎える地獄を想像しながら超ローテンションで通り過ぎる。

そして登り坂。「エグイ」以外の感想はないので延々と1km続く100m上昇する復路の描写は省略。

そう、往路も復路も楽しいことはひとつもない。待ち受けている地獄に対する恐怖と地獄そのものの苦しみ。
それがランニング。

そんなことをする理由はランナーがバカだからという理由以外考えられない。

そういう結論を出しながら、さきほど東京マラソンへの参加申し込みを済ませた。

2010-08-27

打ちのめされるような才能。



グアムという長閑かな島に住んでいるといいこともたくさんあるが、悪い面もある。
悪い面の中で一番怖いのが、何かに即発され知的好奇心や向上心が刺激されることが少ないということだ。

日本、特に東京には世界中のすべてのものがあるといっても過言ではない。求めれば世界の一級品をみる機会には事欠かない。しかしグアムではそうはいかない。ルーブルが来ることもなければ、ウィーンフィルが来ることもない。そういうビッグネームでなくとも優れた才能というものは存在するが、残念ながら人口17万の島で突出した才能や作品を目にすることはなかなかない。

しかしそれでもそういう才能がないわけでもない。
今日、ひとつの才能に後頭部を痛打された。

才能の主はManny Crisostomo

ピューリッツァー賞受賞者であるMannyは今でこそアメリカのサクラメントで活躍しているが、他ならぬグアムの出身。

そのMannyのグアムに関する写真集を今日訪れた友人宅で偶然見せてもらった。

Mannyのことはもちろん知っていたし、彼の話を直接聞く機会にも以前恵まれた。しかし今日みた写真集の衝撃の強さは思いもしないものだった。
それは決してキレイな写真という種のものではなかった。でも圧倒的に力があるのだ。私は思わず目を奪われた。しかしそれ以上にショックを受けたのは妻だった。

妻はフォトグラファーとしてのキャリアを歩み始めている。駆け出しとはいえ彼女の撮る写真を賞賛したり、対価を払ってくれる人は少なからずいる。その彼女がMannyの写真の強さに打ちひしがれていた。その才能に打ちのめされていた。

クリエイターなら誰しも「自分は絶対に才能がある」という思いと「自分なんてスゴイ人の足元にも及ばない」という気持ちを行ったりきたりしながら、自分のスキルを上げていくのだろう。

今日妻が正しい形で打ちのめされたのを夫としてうれしく傍観した。

2010-08-26

顔。



男の仕事は顔に出るという。
その人がなしたことやその自信が顔に出ると。

今日そういうことを感じさせる人と話しをした。
彼は成功者とまでは呼べないかも知れないけれども、それなりに事業で結果を残した。少なくともひとつの大きな成果は残した。
出会った頃はどこか自信なさげな表情を浮かべていた。もともと多弁ではないのがその印象に拍車をかけていたのかも知れない。

もちろん少し成功したからといって急に雄弁になるわけでもない。あいかわらずやわらかな物腰だ。しかし表情の奥に力強さが見て取れる。自信を感じさせる。

生きざまや仕事の成果が顔に出るとはよくいわれるが、多くの場合それは肯定的コンテクストでの話しだ。でも非道い生き方や仕事をしていれば、当然それも顔に出てしまうのだろう。造形の美醜とは関係なく、非道い顔になってしまうということなのだろう。

今日Nさんの瞳に私の顔はどのように映っていたのだろうか。

2010-08-25

梨元勝氏を偲ぶ。



職業に貴賎はない。私はそう思っている。少なくともそう思おうとしている。
しかしどうしても偏見をもって見てしまう職業があった。それが芸能リポーターだった。

若い頃ワイドショーを見て、芸能人のどうでもいいスキャンダルを追いかけてしたり顔で解説している芸能リポーターをみて嫌悪感を覚えた。もちろん梨元氏もその嫌悪の対象だった。二十歳そこそこの少年少女の惚れた腫れたや人様の浮気を必死になって追いかけることを一生の職業とすることを恥ずかしくないのかと、ろくに働くことの意味もわかっていないくせに生意気にも思っていた。

その後テレビを持たない生活がしばらく続き、芸能レポーターという存在自体を忘れていた。グアムに移ってからはなお遠い存在となった。

しかし先日TBSラジオの「Dig」のPodcastで梨元氏がガンを患っていることを知った。そしてそのときの氏のインタビューを聞いて私は彼に対する印象が少し変わった。

梨本氏はインタビューに答えていた。

「ボクはね取材する立場ですから、これまでも著名人のガンの話を伝えてきたんですよ。その時その方の生き様がね、同じような病気の人の励みになり、あるときは家族の応援になるという形で伝えてきたんですね。だからボクは自分がこういう状況になったときに細かく伝えていこうと思っているんです」
そういいTwitterなどでも自分の様子をできるだけ克明に伝えているといった。

私は感動を覚えた。世の中には口では格好のいい大義名分をいう人は多いが、実際に自分がギリギリの立場に追い込まれたら大抵の場合はキレイごとはぶっ飛び、無様に取り乱すものだ。私はそういう人を軽蔑しない。むしろ人間ならば当然の反応だとも思う。

だからこそ死と向き合いながら闘病している梨元氏が取り乱すことなく、冷静に自分の病状を包み隠さず話す様子に感銘を受けたのだ。と同時にそこに彼がこれまでしてきた仕事に対して通り一遍でないプロ意識の高さを持っていることを感じたのだ。

私の梨元氏に対する印象の変化は、先日送られてきた上杉隆氏のメールマガジンの記述で決定的になった。
メールマガジンは有料のものなので、ここでの無断引用・転載は避けるが要は梨元氏は自らがテレビ界から追放されてしまうということを知りつつもテレビ局という権力におもねず、そして事実テレビから消えてしまったということが記されていた。

いつもハイテンションでまくしたてる梨元氏にそんな側面があるとは思いもしなかった。大義を通すため、権力に立ち向かう人だったなんて考えてみたこともなかった。でも先述のラジオ番組でのインタビューから受けた印象はまさにそういう気骨の人だった。

考えてみればどんな世界であっても第一人者として成功を収める人がひとかどの人物でないはずはない。ひょっとしたら梨元氏もスキャンダルを追いかけることに疑問を虚しささえ感じたこともあるかも知れない。しかし様々な葛藤を経て彼の提供する情報を求める人のために仕事を続けたのだろう。仕事で取り扱わなければいけない内容は時には不本意なものもあったかも知れない。しかし少なくとも仕事の仕方は誇りをもてるやり方を貫こうと決めたのではないだろうか。

++++++++

Podcastでは彼は二回目の抗癌剤治療中だと言っていた。抗癌剤の効きがよくレントゲンに映る曇りが薄くなってきたと言っていた。それが8月4日のことだった。

***

梨本氏は死の数日前までTweetしていた。最後の方のTweetは「頑張ります」と「本当にありがとう」ばかりが目立っていた。

享年65歳。
とてもとても残念だ。心から冥福を祈りたい。

2010-08-24

大企業に勤める利点。



最近若い人と話すと昔と比べて大企業志向が大分弱まってきているように感じられる。代わりに起業精神が高まってきている。これは素晴らしいことだと思う。私が学生時代は資格を取る人以外の人は大企業に就職することがひとつのゴールのような風潮があった。最近は大企業に勤めていても意欲的な人は隙あらば会社のリソースを使って自分のやりたいことを実現しようなどという野心的なことを考えている。

不況とは関係なく、構造的に終身雇用がデフォルトたりえない時代に突入した昨今、若い人が寄らば大樹の陰の意識を持たず、前のめりになってきているのは喜ぶべきことだろう。しかしだからといって大企業に勤める利点がなくなったというわけでもない。確かに「大きいところは安心」だとか、「福利厚生がすばらしい」などと言ってられるような時代ではない。それでも三つの理由で大企業に勤める意味はあると思う。

ひとつは学生でも就職活動のときに口にするだろう「大きな仕事」ができる可能性が中小企業よりも高いからだ。億単位のプロジェクトなんて中小企業じゃなかなかできないが、大企業ならば業種によっては入社数年ですぐに億単位の予算を管理することだってありうる。とりあえずこれも利点といえるだろう。

しかしそれ以上に意味が大きい下記の二つの利点が口にされることはあまり耳にしない。

まずは「システム」を学ぶことができるということだ。
「大企業の硬直化したシステム」という風に否定的なコンテクストで大企業のシステムが語られることがある。もちろんそういう側面も多分に存在するが、それだけで大企業のシステムを過小評価してはいけない。大企業が大きくなったのには必ず必然がある。そして多くの場合システムもその必然の一部なのだ。それは効率的な生産管理という場合もあるし、コーポレートガバナンスということもありうる。

これらを学ぶ意味は大きい。特にもし将来的に起業しようと思っているのなら効率的なシステムを学ぶことは何ものにも変え難い財産になりうる。なぜなら少なからぬ場合起業家が事業の拡大過程でシステムを軽視して壁にぶち当たるからだ。

起業家の多くはエネルギッシュで個人の能力で多くのものを解決する。そしてそういう起業家の中には「システム」を「クリエイティビティーの妨げ」とか「臨機応変で柔軟な対応の妨げ」と考えたりする。しかし会社が大きくなっていくと、業種にもよるが12,3人を超えたあたりから、個人技だけでは解決できない問題がでてくる。オーナーの目の行き届かない問題が生じてくる。

そのことによって生じうるリスクを軽減させるのが優良なシステムなのだ。

もちろん大企業のすべてのシステムが優れているというわけではない。過去の一時期においては大きな意味を持ったものであっても時代や業態の変化にそぐわなくなってしまったものもあるだろう。しかし機能不全を起こしているシステムを目の当たりにして、なぜそういうものが生まれどうして機能しなくなったかを考える機会をえるというだけで大企業に勤める意義はある。

さて最後に挙げる利点は「働く」という行為に大きく関わる。それは嫌な仕事をしなくて済む確率が高い、ということだ。

まあ、こう書くとまず十中八九誤解されるだろう。「どんな会社だって嫌な雑巾がけをしなきゃならない」と。そのとおり。でもここでいう「嫌な仕事」はそういうことではない。

たとえば営業職だとしよう。
自社製品を売らなければいけない。その時、その製品に誇りを持てるか否かの違いは大きい。
「なんで他社の製品使おうとしてるんだよ、絶対ウチの製品の方がいいのに」と思って売るのと「ウチの製品、誰が買うんだよ。俺だったら絶対買わないよなあ」と思って売るのとでは営業成績に大きな差がでるのみならず、精神衛生に大きな差が出てくる。自分が惚れ込めないものを他人に売ろうとするストレスは想像以上に大きい。

社会人になって私が最初に気づいたのは学生時代と比して圧倒的に自由になる時間が少なくなったということだった。言葉を換えれば圧倒的に多くの時間を仕事に費やさなければならない。その仕事の大半が自分だったら絶対に買いたくないものを売りつける、というものであることのストレスを考えて欲しい。全うな神経を持っていたら磨耗する。つまり全うな神経を捨てるか、磨耗するかの二者択一になってしまうのだ。

それが大企業に勤めている場合はそのリスクは大幅に軽減される。たとえその会社が業界のトップランナーでなくとも大企業の製品なら多くの場合なんらかの美点がある。それは特定の機能の場合もあるだろうし、価格優位性ということもありうる。環境に対する配慮ということもあるかも知れない。とにかく闘えるポイントが往々にしてある。

人間とはよくできた生き物で、自分にストレスがかかることを避ける自己防衛本能がついている。だからもしその製品にひとつでも美点があるのなら、「それをオススメすることはお客様のためにもなる」と思い込むことができる。

でももしそういう美点がひとつもなかったらどうだろう。
繰り返しになるが、これはあくまでも確率の問題だ。中小企業でも世界に誇れる製品を出しているところはいくらでもある。でも大企業の方が美点のある商材を扱える可能性が高いというのも事実だ。

このことは私の個人的な体験に起因する意見だ。

私はグアムに来る前、広告業に従事していた。外資系の広告代理店に勤めていたとき、都合五つのブランドのAE(アカウントエグゼクティブ:ブランドの広告代理店側の窓口)として働いた。私のいた会社は日本では零細の部類に入ってもおかしくない規模の会社だったが、欧州では圧倒的な力を持っていたこともあって世界的に有名なブランドを扱うことが多かった。しかしそれらのブランドは世界的なものであっても、多くの場合広告業界的コンテクストでいうと有料クライアントというわけでもなかった。つまり大きな予算をかけてTVスポットを中心とした大キャンペーンを張るようなクライアントではなかった。

それでも私はそれらの仕事のほとんどを楽しんでやった。予算規模が小さくて会社的には利益が薄くとも、徹夜を厭わず全力でぶつかって仕事を楽しむことができた。それはそれらのブランドが好きだったからだった。ブランドの担当者がブランドに誇りを持って、なんとかその良さを世の中に広告したい(=広く告げたい)と思っているのが伝わってきたからだ。

しかしそれは担当した5ブランドのうち4つのブランドでの話だ。最後に担当したブランドはあるメーカーにとっても切捨て寸前のブランドだった。不明瞭なビジョンの上に立ち上げ業績が芳しくないので、原価を下げクオリティーを落としつつブランドの外面をリニューアルして何とか生き延びようといブランドの仕事だった。

この仕事ではメーカーの担当者も製品に対して何の思い入れもなかった。広告代理業を華やかなものと思う人もいるかも知れないが、基本的には他人の商品で相撲をとる業種だ。もちろんその役割は小さくはないが、もしその製品自体が本気で相撲に勝とうとしていないのなら広告会社の人間もうまくは踊れない。そしてそういう仕事は割り切った人ならそのブランドのことを考えずに自分の趣味に走り、まじめな人なら苦痛を抱えながら煩悶することになるのだ。

どちらの場合でも精神衛生的にはよくない。

それが大企業に勤めることによって、そのリスクが軽減できるのだ。

これは後ろ向きな理由に聞こえるかも知れない。事実こんなことを就職面談でいったら採用はされないだろう。でもこのことは無視できない大きな問題でもあると思う。

++++++++

というようなことを録画した「龍馬伝」を見た後にふと考えた。
リアルの放送を8週後れくらいで追っかけてきた「龍馬伝」、ついにあと一週で追いつくとこまで来てしまった。
見たいときにいつでも見られる自由がなくなるのがちょっと寂しい。

2010-08-23

【書評】「東京島」(桐野夏生著)

【書評】「東京島」(桐野夏生著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4104667021

ご存知の方も多いとは思うが「東京島」は実際にあった事件をモデルにして書かれた小説だ。

しかしその事実が本作の価値を損ねることはまったくない。むしろ34人の男性と一人の女性が無人島でくるかどうかもわからない救出を待つ、という設定を著者の桐野氏は見事に拾い出したといえる。その中で欲望がむき出しになり、人間の醜い面が露呈していくさまを描くというのは著者の十八番だ。つまりこの設定を探し出した時点で桐野氏には一定以上の勝利は確約されていた。

それでは「東京島」は大きな勝利を収めることができたのだろうか。残念ながら勝利は限定的なものにとどまってしまった。

その最大の原因は小説の守備範囲を広げすぎてしまったことにある。無人島での人々の三大欲求といえば、生存につながる食欲、性欲、救出欲ということになるのではないだろうか。物語の前半はこの三大欲求を軸におき、そこから派生する人間の醜い欲望の表出という形で緊張感を保ちながら描かれている。しかし後半になると孤独の中の発狂や宗教の成立、原始共同社会の成立、新しい生命・世代の誕生、など大きなテーマにどんどん話が膨らんでいく。そして残念ながらそれらのテーマは見事には回収されていない。

このことはこの作品が書かれた方法にも関係するのだろう。本作は「新潮」にて2004年1月号から2007年11月号まで断続的に15回にわたって掲載されたものだ。つまり筆者が一定のテンションをもって、ひとつの作品として書き上げたものではない。よってその時々の作者の関心の揺らぎがそのまま作品に出てしまっている。ゆえに秀逸な状況設定にも関わらず、全体的に生ぬるい読後感が残ってしまう。

本作を最後まで緊張感を保ちながら引っ張っていこうとするのなら、やはり先述の三大欲求を軸にすべきだったろう。そしてそれをなすには筆者は過ちを犯してしまったように思える。この小説はアナタハンの女王事件を下敷きにしているが、桐野氏は基本設定を用いているだけであとは自由に創作している。たとえば島のただ一人の女性を実際は24歳の妙齢だったにも関わらず、小説内では40代半ばに設定している。この置換は見事でこのことにより小説の粘度と湿度を上げるのに成功している。しかし別の創作はこの作品を致命的に弱めてしまった。それは実際のアナタハン事件には実在していた「銃」の存在を消してしまったということだ。

おそらく「銃」という存在が強すぎるということで意識的に消してしまったのではないかと思う。それはペンは剣より強し、とする筆者なりの心意気を見せようとしたのかも知れない。そしてそれによって生み出された一連の「日記」のくだりはいささか白々しさもあるもののそれなりの効果を生み出していたようにも思えた。

それでも物語の後半からでも「銃」は登場させるべきではなかったのかと今でも思う。やはり「生存」ということが大命題になったとき「銃」というものは圧倒的な迫力で存在感を示し、そして人々の醜悪な面も引き出すことができる。

私は筆者があえて「銃」を封印したと考えているが、同時にそれは失敗だったとも考えている。

******

十分に読んで楽しめる小説ではあるが、この設定と桐野夏生という筆者を考えればもっとポテンシャルのある作品なのではないかと思う。いつか桐野氏が書き下ろしでリライトしてくれないかな、とありえないことを夢想する。

2010-08-22

そろそろ理解して頂けませんか、経済はゼロサムじゃありません。



「競争などの勝敗によらない幸福を希求できる社会をめざそう」という人がいる。
そうね、そういう幸せもいいかもね。私は心から思う。

そういうことをいう人は大体決まって善人だ。だから私は彼らの意見に真摯に耳を傾けようとする。でも少なからぬ場合失望させられる。

彼らの多くは「資本主義社会」を悪、もしくはそれに近いものと考えている。「資本主義社会」=「競争社会」=「勝者と敗者の創出社会」という風に考えるのだろう。そして言う。

「勝者が生まれるということは必ず敗者も生まれる。敗者がかならず生まれるような社会の仕組みは変えませんか?」
と。
そこで私はそれ以上彼らの意見に耳を傾ける気が失せてしまう。彼らの意見が漠とした感情論の外を出ないということがわかるからだ。

先にも述べたように上記のようなことをいう人は大抵善人だ。だから社会で苦しんでいる人がいることに悲しみと憤りを感じているのだろう。その心やよし。そしてそれは資本主義に大きく起因すると思っているのだろう。その仮説まではよし。でもそこで短絡的に「必ず敗者が生まれる資本主義を再考しませんか」というような人は恐らく薄っぺらなメディアにでている「資本主義」「勝ち組、負け組み」などという言葉に踊らされ、経済について真剣に考えたことがない人だ。

資本主義というのが経済上の仕組みである限り、資本主義を批判しながら経済を理解しようとしないのは笑止だ。彼らに仕組みを変えられはしない。

まずは彼らの致命的な間違いから正したい。

「経済はゼロサムゲームじゃない」

経済活動とはひとつのパイを奪い合う活動ではないのだ。
理論的には全員が勝者になることも可能なのだ。

これを説明するのは難しいが、簡単にいうと理論的には経済活動に参加している全員がWin-Winになることは可能なのだ。たとえばAさんが買い替えによっていらなくなった冷蔵庫とBさんが買い替えによって要らなくなったPCを交換することによって潜在的なゴミがふたつ消え、新たな二つの価値を生み出すということがある。この場合両者ともに勝者と言えるだろう。

もう少し違った角度からみてみよう。経済をもっとも端的にあらわす株式市場を考えてみる。株式市場をきちっと理解していない人は「誰かが儲かったら、誰かが損するんだろ」という。しかしそうではない。様々な企業が努力を重ね、イノベーションを繰り返すことによって今までになかった付加価値が生まれる。

もしある企業がそれまでまったくなかった新しい価値を提案したら、そこに新しいマーケットが生じ新たな価値が生まれる。結果、その企業の株価は上がる。そういうことを繰り返すことによって株式の時価総額は少しずつ上がっていく。株式の時価総額が上昇する限り、理論上はマーケット参加者の全員が勝者となることは可能だ。
それが経済活動なのだ。

逆の例を挙げればわかりやすいかも知れない。バブル崩壊でもブラックマンデーでもリーマンショックでもいい。株式が大暴落すると当然時価総額は激減する。多くの人が大きな損害を蒙る。つまり敗者となる。この場合、勝者はいるのだろうか。もちろん中にはカラ売りを掛けて大儲けをした人もいただろう。しかし全体からみれば「勝った」人は「負けた」人に比べると微々たるものでしかなかった。つまりほぼ全員負けてしまったのだ。

つまり、経済活動上では全員勝つこともあれば全員負けることもある。

競争の外に価値を見出そうとする考えがあってもいいとは思う。でも本当にそう思うなら「勝者がいるということは必ず敗者も生まれる」なんてアホみたいなことは言わないでもらいたい。それを聞いた瞬間鼻白んでしまい、真面目にその人の主張を聞こうとする気が失せてしまう。

 個人的には全員が勝者になる社会が理想だと思っている。もちろんそれは理想論であり、理屈上可能でも実際には不可能に近いというのもわかっている。そのためには全員が必死で努力しなければいけないかも知れないし、その礎となる教育や道徳形成も高度に徹底させなければいけない。

そんな窮屈な社会は嫌だという人もでてくるだろう。でもほんの数百年前までは、ほとんどの国民は家族総出で必死で働かなければ明日の食い扶持さえも補償されていなかったのだ。われわれは今これだけ豊かな生活を享受していながら「あくせくするのは好きじゃない」などと言うのは世迷いごとにしか聞こえない。

あくせくしなくとも食い扶持に困らないのは先人の築いたものに胡坐をかいている人か、ずば抜けた才能をもっている人しかありえない。そしてかなりの確率で断言するがキミにはずば抜けた才能はない。
だから自分のため、周囲の人のため、そして人類のため、キミは他の人とともに少しでも社会がよくなるように一生懸命生きていかなければいけないのだと思う。

 キミがいい人であることはむしろ誉められるべきことだ。しかしいい人であれ悪い人であれ、なんらかの主張をしようと思うのならそれなりの覚悟を持つべきだ。だからもしキミが知らないのならもう一度だけキミにいっておきたい

「経済はゼロサムゲームじゃないんだよ」

2010-08-21

ジモトの消えた日。


私には「ジモト」がない。現在グアムに住んでいるし、横浜にある家は生まれ育った場所ではないし、両親も昔から済んでいた「実家」にはもはや住んではいない。自分が生まれ育った生家から親が引っ越してしまって「実家」と呼べる場所がなくなってしまってい「ジモト」がなくなってしまったと感じてしまっている人も少なくないかも知れないが、私は自分の中で「ジモト」が消滅した時のことを覚えている。

それは横浜のジモトの中学へ行かず東京の私立中学へ行ったときのことでもなければ、小学校を過ごした家から引っ越したときのことでもない。それは1999年の7月7日のことだった。

私は小学校1年生から横浜の中でも郊外に属する二俣川と呼ばれる地区の新興住宅地に育った。地元の公立小学校へ通い、学校へ通うのが楽しくて仕方がない普通の小学生生活を送った。小学校の高学年になると塾にも通うようになり、中学受験を志すようになるがそれとて私の通っていた小学校ではとりわけ珍しいことでもなかった。

かくして私は中学受験を経て、都内の私立中学へ通うことになる。ジモトの友だちと離れ離れになってしまうのはとても寂しかったが、大変だった受験を無事乗り切った高揚感の方が高かったというのが正直な思いだったと思う。

そして次第に中学の生活に馴れていった。しかし私の中に常に「ジモトは二俣川」という思いがあった。だから「小学校の同窓会が開かれないかなあ」などと思う気持ちは常に心のなかにあった。ただ私の通っていた小学校の卒業生はほぼ全員が同じ中学へ進学していた。そうすると小学校に対するノスタルジーは彼らの中で生まれない。だからついに同窓会は開かれることはなかった。
高校へ進むとさすがに進学先はいくつかに分かれるのでノスタルジーなども生じたようだが、そのとき開かれる同窓会は小学校のものではなく中学校のものだった。

というわけで同窓会なるものは一回も開かれなかった、もしくは呼ばれなかったけれども私の中のジモトは常に二俣川だった。

+++

小学校のときに親友と呼んでいた友だちがいた。Kくんと私は常に一緒にいて色々なことを話した。Kくんは学級委員も務めるような聡明で人気のあった少年だったが、特に中学受験には関心を示さず地元の中学校へ進学した。

同窓会も開かれない中、私の中のジモトとのつながりはKくんだけだった。とはいっても別に頻繁に連絡を取り合っていたわけでもない。せいざい年賀状を交換していた程度だ。私が中学2年のときに横浜の別の地域に引っ越した後、一度だけ二人でボーリングに出かけた。それきりだった。

それが何を思ったか高校2年生の夏、Kくんの誕生日に私は彼にバースデーコールをしようと思い立った。もちろん昔からの友だちも大切にしたいという思いはあったが、私のジモトへの唯一のライフラインともいえるKくんとの関係が完全に切れてしまうのが怖かったという思いもあったかも知れない。ひょっとしたらそれ以外にも何かに思い悩んでいたのかも知れない。とにかく私はKくんの誕生日、7月7日に彼に電話を掛けた。

恐らく2,3年ぶりに連絡をとったのだから不自然な電話であったに違いない。私が「誕生日おめでとう」というと彼は電話線の向こうではにかみながら「ありがとう」とはいったものの明らかに戸惑っているのが感じ取れた。それでも私は何かを取り戻すべく会話を進めた。

そのかいあってかしばらくすると会話は自然となっていった。そして話題は高校二年の夏にふさわしく受験の話になっていった。話が受験に及ぶとKくんはどこか卑屈になったように感じられた。やけに卑下するような話しぶりだった。それは私が有名進学校に通っていたからだろうとすぐにわかった。でも私はKくんにそんな態度をとって欲しくなかった。受験校にいたとはいえ、私自身はといえば部活と女の子を追いかけるのに夢中で勉強などまったくしていなかったし、もし仮に私が現役で東大に入ってしまうようなエリート受験生であってもそういう態度をとって欲しくなかった。

Kくんと私はいつも一緒にいて放送委員会で好き勝手な曲を給食の時間中にかけたり、下級生を驚かすいたずらをしたり、馬鹿なことからまじめなことまで語り合った親友だった。片方の成績がいいとか悪いとかを気にするような間柄ではないはずだった。

私は一生懸命昔の関係を取り戻そうと試みた。バカ話ができる気軽さを求めてがんばった。それでも小学校卒業以来、五年の月日は僕らの関係の中の致命的なものを損なってしまったようだった。

最後はKくんの方から電話を切ったのだったと思う。
そして私は永遠に地元を失ってしまった。

*******

今日聴いていたPodcastのテーマが「地方からジモト-若者文化のいまむかし」だった。
「ジモト」という言葉を耳にして、久方ぶりになくしたジモトを思った。

2010-08-20

お宅の子供、オタク資質ありますか?



私はオタクの資質についての造詣が深い。
なぜなら私自身もオタクの資質に満ちているからだ。そしてまたオタクポテンシャル満ち溢れた環境に育ってきたからだ。

まあ変に隠すのも却っていやらしいからはっきりいうと、私は中学受験ママゴンたちが羨望するような進学校に通っていた。そこはまさにオタクパラダイス。中学高校六年一環、高校から新規入学者がいないこともあってほとんどの同級生のことは知っているが、同級生300人の中でオタクの資質がなかったのはただ一人だけだ。
あとの299人は私自身も含めてみなオタクの資質を持っていた。

もちろん進学校といっても都会にある私立高校。絵に描いたようなオタクが299人いるというわけではない。中にはスポーツに熱中する青春を送るものもいれば、音楽に傾倒するものもいる。女の子のケツを追いかけながら前髪の按配だけを気にしていた奴もいた。しかし、しかしだ、300人中一人の例外を除いた299人には明らかにオタクの資質があった。

オタクの資質というのは詰まるところちょっと常識レベルを超えた探究心のことに他ならない。それが向かう方向性によって人から「オタク」と呼ばれることもあれば「研究熱心」とか「探究心旺盛」といわれることもある、ベクトルの違いでしかない。

一流進学中学校なぞに入るコは普通10歳、11歳くらいから激しく勉強する。ワンパクざかりの小学生がその激しい勉強に耐えられるとすれば、尋常ならざる負けず嫌いであるか尋常ならざる希求心があるかのどちらかだ。そして多くの場合はそのコンビネーションで「自分が探求できないものを同じ小学生がよりうまく探求できるのは許せない」と思うか「自分が探求できないものがあるとしたら何が何でも希求したい」と思うかのどちらかだ。それぐらいクレイジーでなければ一流校に入れるわけはない。その後、どれだけスポーツマンになろうが、アソビ人になろうとこの資質は変えられない。メディアで同じ中学高校出身の先輩を数多みるが、それが政治家であれ、学者であれ、作家であれ、評論家であれ、芸能人であれ、ほとんどの場合私はたやすく彼らからオタクの資質を嗅ぎ取ってしまえる。

もし数年以内に中学受験を控える子供がいていわゆる一流校を目指させたいと思っているのなら、まずその子にオタクの資質があるかどうかを見極めて欲しい。もしないのなら、別にそんなにあくせくして超一流校を目指す必要もないのかも知れない。中学高校で十分に勉強して、目指したい大学を目指すことはいくらでも可能なのだから。もし無理してそういう学校に入れてしまったのなら、オタクの資質のない自分の子供がオタクに囲まれながら青春期を過ごすという悲喜劇が生じてしまうかもしれない。

そしてもし自分の子供が多分にオタクの資質を持っていると思うのなら、思い切って超一流といわれる進学中学校を目指してみるのもいいかも知れない。その先には東大やら、世界の一流研究職も待っているかも知れないから。でも、同時にそれは彼/彼女がただの一流のオタクになってしまうというリスクも忘れずに。

2010-08-19

正座。



私は完全なマクロビ食ではない。今日もチキンを食べた。
だからマクロビを伝道しようなどというおこがましいことはまったく考えていない。
それでもその威力に驚くとついつい書き留めたくなる

今日取材で道場へ赴いた。インタビューは畳の上。当然私も正座をする。
社会人になってから正座をする機会はほとんどなかったが、グアムにくる前一年程茶道を習った。
当然正座である。私の習っていた流派の家元が心の広い方で、「辛くなったら足を崩して頂いて大丈夫ですよ」と仰ってくださっていたので、私は言葉に甘えてすぐに足を崩していた。とはいえお茶をたててくださる方への礼儀というか、習い手の気概というか、耐えられる限りは正座でいようといつも思っていた。しかしそれでも5分も経たないうちにしびれてくる。そのまま10分、15分くらいはガマンしていたかも知れない。しかしそうすると間違いなく立ち上がれない。面白いくらいにピリピリしてしまう。

インタビューが進んだ。少し痺れそうな気配はあったが致命的なことにはならなさそうだったので、そのまま正座で続けた。話をすべて聞き終えた。立ち上がろうとする。あら不思議。すっと立てた。少しは痺れてはいたけれども、まあ許容の範囲。

前にも書いたが、(ほぼ)マクロビ食を続けると体の筋が柔らかくなるのだ。筋が柔らかくなると筋肉が変に引っ張られることがなくなる。血管にも変な負担がかからないのだろう。まあ、理屈はわからないがとにかく足が痺れないのだ。
恐るべし、マクロビ。

2010-08-18

経済成長なき幸福。



昨日に続いて経済のはなし。
最近色々な学者や"有識者"が「経済成長なき幸福」とか「経済成長なき繁栄」というような言説をしているのが目に付く。

しかし残念ながらこれは机上の理想論だ。ここで経済学の講釈を垂れるつもりもその能力もないが、体験からちょっとだけ言わせてもらう。
私自身大学を出て証券会社に入社したとき「株式会社は成長を前提としている」という研修を受けて驚いた。「利益が出ていればそれを確保するだけでいいんじゃないの?」と。しかし実際に自分で事業をやってみてわかった。死ぬ気で成長を目指さないと既存の利益の確保さえままならないと。
そしてみんなが死ぬ気でがんばっていくと結果としてイノベーションがあったり、各種生産性が向上したりして社会全体の余剰価値が上昇していく。それが経済成長。

「いやいや、そんな死ぬ気でがんばるんじゃなくて普通に最低限だけはがんばって、成長とかよりも人として幸福を追求するべき」という人もいる。そういう人は間違いなくマーケットで闘ったことのない人だ。誤解して欲しくないのは私はある個人が「仕事は程ほど、家庭やプライベートな時間を大切にする」というのを否定しない。それは素晴らしい生き方だと思う。ただし、それはそれが適うならの話だ。そして社会全体としてはそれは残念ながら適わない。考えてもみて欲しい。ここ10年間日本人はみんな必死で働いてきた。それでも経済成長はおろか、一歩間違えればマイナス成長にさえなりかねない状況が続いている。

だいたい「経済成長なき繁栄」などという人は「ワーキングプアの撲滅」を目指すようなひとのいい人が多いように思う。でもその二つは同時には成立しない。成長を目指すことを辞めた時点で日本は恐ろしい勢いで経済的に後退する。こうやってブログを書いているどころの騒ぎではない国になる。生き馬の目を抜きながら生きていかなければならない社会がやってきてしまうだろう。

「そうはいっても、別にこれ以上何かを犠牲にしてまで発展しなくても十分豊かじゃない?」
まったく持って同感である。私自身、身を焦がすほど欲しいものなど最早ないし、今の生活の中で足ることができないのならきっと生来の人間の機能のどこかがおかしくなったか麻痺してしまっているのだろうとさえ思う。
でも上の台詞を一日2ドル以下で暮らしている世界26億人の人に言えるか?そんな呑気な人はいない。彼らがより「豊かな」「人間らしい」暮らしをする、したいと望むことを頭ごなしに否定できる人なんていやしない。そしてそういう暮らしを支えるのは「経済成長」以外の何者でもない。

私は無邪気に「経済成長」を礼賛なんてしない。でも無邪気に「経済成長なき幸福」を謳ってしまうほどナイーヴでもない。

私たちはとても難しい舵取りを要求されている船に乗ってしまっているのだ。

2010-08-17



いわゆる市場原理を重視する人は最近では「ネオリベ」といわれ、「時代遅れの金の亡者」というような扱いを受ける。でもそうなのかしら?
個人的にはネオリベという言葉は安易なラベリングだと思うし好きにはなれないのだけれども(大体ラベリングをするのは理解不足の奴かその語感がネガティブインパクトを持つとわかっている確信犯の反対の立場に立つ奴らだ)、私の主張をそういう風にとらえる人もいるので、敢えて少しずつ反論。

「進歩」と「市場原理」の関係を書いていると紙面が尽きない。だからまずは重箱の隅から。

個別所得補償制度。 

私は農業は本当に大事な産業だと思っているし、それを立て直さなければいけないと思っている。
でもこんなに出鱈目な制度はないよね。

農家でも他の産業同様もちろん死ぬほど努力して結果を出している世帯もあれば、それなりにしか努力していない世帯もある。それを十把ひとからげに補償するなんて馬鹿な制度があっていいものか。これで農家のやる気、生産性が向上するのか。

こういう制度を考えているのは官僚と政治家だけれども、ここではあえて官僚は批判しない。奴らは自らにかかるリスクを軽減させ省益を守るのが仕事だからむしろこういう風な政策を提言するのは自明だ。しかし問題は政治家だ。議席を獲得した彼らは自らが議員職にあるのは「候補者よりより優秀で、より努力したからであり、当然のことだ」と思っている。

なぜその簡単な原理を農業にも当てはめないのか。そこにあるのは無能か不誠実でしかない。

自らが同じ体験をしながら「がんばる人が報われる社会」を志した方がいいと思わないのは無能としかいいようがない。「がんばる人が報われる社会」の方がいいと思いながらも、その逆を志向するのは「でもそういう主張をした方がより票が入るからそれが民意だよね」と自分に無理やり信じ込ませようとする不誠実な人に他ならない。

票が入る。そう個別所得補償制度は「主要農作物」といってもコメ農家中心に設計されている。それ以外の真面目な農家に話を聞くとむしろ個別所得補償制度を悪と捉える人も少なくない。

今一度いう。私は日本の農業の復興を祈っている。地産地消はひとつの理想だとも思っている。
だけれども、そのためには供給者が厳しい競争に勝つ必要があると思う。たとえば関税がかかっていても海外の安い労働力を加味した値段が安いのなら、長期的にはそれに対抗できる施策を国ぐるみで考えなければいけないと思う。
海外の食糧生産の方がずさんでコストが安いのなら、ずさんな生産で作られたものよりも正しく生産されたものの方が体にいいときちんと啓蒙していくべきだと思う。それを「食育」と呼ぶ人もいるかも知れない。そうすることによって国民の正しい健康を培え、結果的に国民に対する健康保険料の負担が減るとともに自国農業の育成にも役立つ。

とはいえ今の時代むやみに高い関税をかけることも現実的ではない。ということは、市場原理にのっとり「日本のXX(作物)はXX%値段が高いけれども、それに見合うだけの美味しさと安全があるよね」と思わせることのできる値段じゃなければいけないのだ。

私は日本は国を挙げてそこをめざすべきだと思う。

そう思う私を「このネオリベが」と思う人もいるかも知れない。
でも私の主張を完全に理解して頂いたうえで「ネオリベ」と呼ばれるのなら、その好戦的なイカツイ名称にもあえて甘んじようとは思う。

2010-08-16

2010-08-15

クラウド活用のコスト



ちょうど昨日、これからはクラウドの時代なのだからクライアントにデータを保管することに拘泥せず、色々なクラウドサービスを利用していこう、という趣旨のポストを上げたばかりだが、今日PodcastでラジオNikkeiの「伊藤洋一のRound up World Now」を聴いてEvernoteのサーバ不調により四日間の間データの記録管理がうまくいかず、6000人超の人が被害を被ったということを知った。

そのEvernote、iPhoneのヘビーユーザの中ではかなり知られたサービスではあるけれども、一般的には知られていないかも知れないので簡単に説明を。一言でいってしまえば、インターネット上のメモ帳だ。メモといってもテキストだけじゃなく、写真や音声も記憶しておける。
そういうと大してありがたいように聞こえないかも知れないけれども、iPhoneを始めいくつかのスマートフォンで専用のアプリがでているため、そういったデバイスと合わせるとかなり便利に活用できるクラウドサービス。

もっともiPhone自体にもテキストや音声や写真を保存できる機能はついている。だからそれで十分なんじゃね?という人もいるかも知れないが、Web上に保存されていれば旅先でiPhoneの充電が切れても盗まれても簡単にWeb経由でデータにアクセスできる魅力的なことは多い。

そういうわけで、私は写真はiPhoneユニークのアプリで管理し(Picasaを活用しながら)、テキスト情報と音声情報はメモ帳やボイスメモではなくEvernoteで管理するという方法をとっている(話は逸れるがiPhone利用者のVoice Memosアプリ活用者って意外と少ない。あんなに便利なのに)

そのEvernoteがやらかしてしまった。

実はちょっと前まで私自身そこまで重要なことにはEvernoteは使っていなかった。しかし最近になって妻とともに始めたプロジェクトで他人にインタビューをする機会が増えたのでボイスレコーダー代わりにEvernoteを使うようになったのだ(一ファイル最長20分まで録音可)。

インタビューをするときはできるだけ相手の目を見ながらのライブの会話を大切にしたいのでメモを取るのは最小限にして後で録音素材を聴きなおすのが基本的フォーマットになっている。だからもし録音素材が全部とんでしまったら、それはそれなりの事故だ。というか考えたくもない。

とはいえ時代がクラウドにシフトしているのは昨今のITニュースをチェックしていれば明白だ。その活用に馴れておくのも悪くない。全世界で300万を超えるユーザの中の6000人、0.2%のユーザのわずか4日間のデータ。自分がその当事者であれば悠長なことはいっていられないかも知れないが、クラウドを初期から活用して馴れておくコストとしてはそれほど高くはないのかも知れない。

クラウドのサービスの不具合を心配している暇があるのならとっととインタビューの文字おこしをしろって。
はい、返す言葉もございません。

2010-08-14

Google Contact



ちょっと前にPCがイカれてしまった。
まだ使えなくもないけれども、いつお陀仏になってもおかしくない。色々なデータを残しておくのは明らかに危険な状態だった。とはいえお金もない。そこでとりあえずネットブックを買うことにした。

それまで私はメインのPCにはそれなりのスペックは求めていた。少なくともフォトショップはサクサク動いてもらわなければいけないし、半ばサーバ的な役割も果たすのが自宅のPCだと思っていた。

しかしネットブックだと勿論そうはいかない。できるだけクライアントは軽く保っておかなければいけない。iTunesの曲もすべてネットワークハードディスクに溜め、本体には重いデータは一切残さないという具合に。

そこでついに決意した。これまでMSのOutlookに集中して管理していたコンタクト情報をGoogle Contactに移行しようと。

1,2年前にGoogle ContactとiPhoneのコンタクトが同期できると知ってから、コンタクトはGoogleに統一した方が便利かな、とは思っていた。でもGmailで欲しかったアカウント名(iamtaro)が取れなかったとかいう下らない理由で後送りにしていた。

しかしネットブックに移行した際、時代がクラウドコンピューティングに移行しようとしているのにネットブックにOutlookなどのメーラーをインストールするのもどうかと思いストレートに名前でGmailアカウントをとった。

そしてすべてのコンタクトをGoogle Contactに統合してみた。

統合自体は基本的なPCの知識があればそれほど難しくはない。ただ何となくサーバーに自分の大切な情報をすべて預けてしまうのは大丈夫なのだろうかという心もとなさはどこか残った。

移行した後、今のところ何の不自由はない。むしろiPhoneをSyncさせるiPhoneをSyncさせる特定のPCからでなくともどこからでもコンタクトを気軽に入力できるのが現在の私のライフスタイルには合っている。Google Contactを介したサービスを提供するアプリも少なくない。

確かにGoogleのサーバは世界中のハッカーから狙われているだろう。でも世界中の数億人(?)がGoogleアカウントを持っている今セキュリティーは彼らにとってのライフラインであろう。何重もの厳重な世界トップクラスのバックアップセキュリティーシステムを持っているに違いない。

かなりズボラで抜けている私が量販店で買ってきてつなげただけの安価のサーバがクラッシュする確率と、Googleのすべてのバックアップシステムが突破される確率。

謙虚に世界最高峰のIT企業の技術に身を任せ、私は今後データのバックアップをしなくて済む自由を楽しもう。

2010-08-13

シャッターチャンス



妻は米が好きだ。そうご飯が好き。米が巧く炊けた日の食卓はそれだけで幸せそうだ。
そして食後、土鍋で炊いた米をタッパーに移す。その時杓文字についた米を最後にパクッと頬ばり、二度幸せそうな顔になる。

**********

妻に写真を撮ることを勧めたのは私だった。
もちろんスナップで撮る彼女の写真のセンスがよかったということもあるが、グアムにきて熱中できることがないのもよくないと思い勧めた。

彼女はコンパクトのデジカメで写真を撮り始めた。私自身好きでスナップ写真を撮り続けており、また以前に広告の仕事についていたこともあり、偉そうに彼女にアドバイスめいた発言をしていた。「とにかく最初のうちは数を撮れ」やら「シャッターを切るスピードが遅すぎる。そんなんじゃシャッターチャンスを逃す」とか。

しかし生来のセンスに加え、のめり込み易い生活のせいかあっという間に彼女は写真が巧くなった。
デジタル一眼レフを買い、専門書を貪り読む彼女に最早私がいうことはなかった。

そして気づけば写真なら妻、という不文律になった。

**********

夕食後、妻はいつものように土鍋から米をタッパーに移していた。そしてちょいと杓文字についた米をつまみ食い。幸せそうだ。

「撮りたい」

私は慌ててカメラを撮りに隣の部屋に走って構えた。妻が再度杓文字を口にやる。
ピントなどの設定に手こずる。そうこうしているうちに杓文字が口から離れる。
再度妻が杓文字に口をやるのを待ちながらカメラを構える。
すると「ん、どうしたの?」という様相で妻がこちらを振り返った。

とりあえずパチリ。
それと同時に妻もタッパーの蓋をパチリと閉めた。
完全にシャッターチャンスを逃した。

上の写真はその時の一枚。

愚鈍な私が妻の写真にかけるアドバイス最早はない。

2010-08-12

たそがれのゴールポール



小学生の頃地元のソフトボールチームに入っていた。毎週日曜日に小学校の校庭に集まり練習し、年二回リーグ戦があるというような内容だったと思う。

ある朝ソフトボールに出かけると、そこに老人がたくさん集まっていた。ゲートボール愛好者たちだ。何かの手続きの間違いかグラウンドがダブルブッキングされていたようだった。

ソフトボールをしたい子供たちを尻目にチームの監督が大人の対応で話を付け、僕たち中央ペガサスが2チーム彼らのゲートボールの大会に参加せてもらうということで話をつけてきた。

もちろん僕らはゲートボールなどやったことがあるわけもなく、ルールも知らない。他方の愛好者たちはマイスティックを持っている方もいてなかなか堂に入っている。

ルールを教わり、とにかく試合が開始された。始めは戦略もなにもわからず戸惑いっぱなしだったが、さすがは小学生飲みこみが早くルールも大体の戦い方もすぐに覚えていった。そして何よりも野球小僧(ソフトボールだけど)球勘は悪いはずがない。

早々と敗退したもう一つのチームを尻目に、僕がいたチームはあれよあれよという間に勝ち進んでいった。決勝戦ではさすがに負けて僕ら中央ペガサスBチームはその大会で準優勝の栄光を獲得してグラウンドを後にした。

+++++++

先ほど文科省が推進しているスポーツ立国戦略についての議論をPodcastで聴いた。中で「ライフステージに応じたスポーツ機会の創造」というフレーズを耳にし、小学生当時の小さな思い出が喚起された。「高齢化社会にも地域社会の結びつきにもいいよな」、当時の記憶から僕はそう考えた。でも現実ではゲートボール人口は減っていると聞いたことがあるけどどうなんだろう。雨の降るグアムの夜道を運転し一人自問しながらふと思った。

「あのとき僕らの負けてしまった老人たちはどんな心持ちだったのだろう」

未来は無限だと信じていた無邪気な少年の日々の残酷さを噛みしめ、濡れて車線の見づらくなったタモンの坂道を昇った。

2010-08-11

20100811


備忘録:足ることを知ることと進化の落としどころについて。

2010-08-10

2010-08-09

2010-08-08

2010-08-07

2010-08-06

2010-08-05

女子禁制



「女性専用」というものに比べて「男性専用」というものは極端に少ない気がする。
「女性専用車両」「女性専用フィットネス」「女性割引」「女性限定」「レディースデー」・・・。
挙げれば切りがない。それに比して男子専用というといわゆる男子校くらいしかないのではないだろうか。

まあそれは極端な男性社会の中でフェミニズムが台頭する際におきた過渡期的歪みだろうし、別にそれを目くじらを立てて「逆差別だ」などと糾弾するつもりはまったくない。でももう少し「男性専用」というものがあってもいいのではないかとも思う。なぜなら「女子禁制」は楽しいのだ。

かつて「女子禁制」のスポーツクラブがあった。「かつて」といってもそんなに前の話でもない。2004年まで東京のど真ん中にありながら閑静な地域にあったジムがある。

私がそのジムの存在を聞いたのは2000年頃のことだった。運動をすることが好きでいながらしばらく体を動かしていなかった時期に近所に住む友人Dong Luから聞いた。しかし都心の真ん中にある古くからある会員制のジムと聞き、少し尻込みした。当時仕事は広告制作プロダクションという低賃金超労働の典型のような職業。わけあって都心の真ん中に住んでいたものの家賃の大半は自分では払っていない状態。外資系金融会社に勤めるLuに思わず尋ねた。
「オレでも入れるの?」

聞けば月会費は1万2千円くらい。安いという方ではないが、タオルもウェアも靴も貸してくれて手ぶらでいけることを考えれば、大手チェーンの同様のプランの値段と変わりがない。何より徒歩1分のところにあったのは魅力的だった。

私はすぐに入会した。入会して色々なことがわかった。そこは1965年に設立された都内でも老舗のジムであったということ。1965年当時はジムに通う人などほとんどいなく、まして女性でジムに通う人などいなかったということ。結果として男性専用となり、女性がジムへ通う時代になっても設備の関係でそのまま男性専科のままでいたこと。当時ジムに通う人はある程度意識と収入が高い人で、土地柄もあって大企業の重役やスポーツ選手、大物芸能人もかつては通っていたということなど。

++++++++++++++++++

最新のチェーン店のジムに比べると設備も古くどこか薄汚れている。それでもそのジムは何ともいえない味わいがあった。まず第一に通っている人が真面目に体を鍛えていた。私は当時30そこそこだったろうか。酒にまみれた生活を送ってはいたものの、学生時代は運動部に所属していたこともあり体力にはそこそこ自信はあった。しかし、そこで毎日トレーニングをしている五十代、六十代の先達の方が私よりもずっとパワフルだった。
かといって、ボディービルダーの集まりのような雰囲気でもない。こじんまりとしたジムだけあって極めてアットホームな雰囲気で、そこにいる人同士が名前を知らなくてもお互い世間話をするような空気に包まれていた。それが大企業の重役であっても、歌舞伎界の重鎮であっても、有名俳優であっても、現役の体育会の学生であっても、そして私のようなしがない会社員であってもお互い顔見知りになり、わけ隔てなく話すような環境だった。

ロッカールームはさながら男子校の部室だった。いい歳した大の大人が真剣に下ネタをいってゲラゲラ笑ったり。野球の采配に文句つけたり。

女性は「男の人だけ集まってどんな悪巧みしてるの」と思うかも知れない。でも、男はそんなに大層なものでもない。「永遠の少年」なんていいものでもない。みんな「永遠のガキ」なのだ。自分を取り巻く体面、社会的立場から開放されるとどんなに日ごろ偉そうなことをいってもシカめっ面を決め込んでいても、そこいらの中学生の男子とまったく変わらなくなってしまう。

でもそこに女性の視線が入ってしまうと浅はかな男どもは途端にポーズを作ってしまう。無邪気なホモソーシャルな空気が一気に崩れてしまう。部室のきゃっきゃっ感がなくなってしまう。なぜなら男が一番体面を気にしてしまうのは女性の前だからだ。

だからキャバクラやクラブというような普通の女性が入り込まないようなところではだめなのだ。そこにお店の女の子がいる限り。

女性とて色々な体面で疲れてもいるだろう。でも女性しかいないエステなどへ行って、それなりに発散することもできる。でも性質の悪いことに男性は女性よりも体面を気にする。その男性に解放されているホモソーシャルなクラブがないのは社会的にみてもあまりよろしくないと思うのは私だけだろうか。

++++++++++

私の中で「伝説のジム」と化しているそのフィットネスセンターは「クラークハッチ」といった。先述のとおり、2004年か2005年だかに東京支店は閉じてしまった。

クラークハッチが閉まった後、私はしばらくどこのジムにもいかなかった。

そうこうしているうちにグアムへくることに決まった。
グアムにはクラークハッチの支店があった。マリオットホテルの中にあり、もちろん男性専用ではない。それでも東京のハッチがあった頃から顔見知りののマネージャーがいて、どことなく私の知っているハッチと繋がっているという感覚があった。

そのクラークハッチ、グアム店が6月の末で閉店した。今もまだ同じ場所にジムはあり私もそこに通っている。
それでも私の中の何かが終わってしまったという感覚は拭えない。


部室の高笑いが遠い。

2010-08-04

2010-08-03

2010-08-02

闘う肉体



先日部活の後輩がグアムに遊びにきてくれた。 

最近、食生活の改善で(参照: http://mywifescamera.blogspot.com/2010/07/blog-post.html) 体重も減り、さらにウェイトトレーニングも再開したことでもうすぐ醜悪なカラダに別れを告げられるのではないかと密かに思っていた。あわよくばナイスバデーさえ目指してしまおうかなどと色気さえ出しかねない始末。

しかし現役のフットボーラーたちのカラダをみて、私はバカなことを考えてしまったものだと赤面させられた。彼らのカラダはナイスバデーなどという陳腐な語彙ではいい表せない美しさを放っていた。Tシャツの上からでも筋肉が語りかけているのだ。”オレは闘う肉体だ”と。

それは決して肉体年齢のピークの話ではない。彼らが社会人と比べて圧倒的にカラダを鍛える時間があるという話でもない。私は一部上場企業の重役という激務をこなす傍ら60歳を過ぎてから筋トレを始め、ベンチプレスの都大会のシニア部門で優勝した人も知っている。
私もベンチプレス自体は学生時代に挙げたウェイトとさして変わらない重さをまた挙げられるようになってきた。短距離は無理でも長距離なら鍛えれば学生時代よりもいいタイムはでるかも知れない。でもどんなにがんばっても私の肉体は闘う肉体にはならない。

三島由紀夫といえば武闘的なイメージがあるかも知れない。実際色々なものと闘ってきたのであろう。肉体だってご存知のとおりボディービルで鍛え上げた。しかし彼の肉体もまた闘っていなかった。彼が闘っていたのは病弱な三島少年の抱えていたコンプレックスとであり、美しく完成された彼自身の人生の物語を完成へと向かって昇華させる恐怖と闘ってきたのだ。その発露が肉体に現れただけで、肉体自身は闘っていない。

若きフットボーラーの肉体は日々闘っている。対面の選手をぶっ飛ばさなければ自分がぶっ飛ばされる。マークする選手より速く駆けなければタッチダウンを与えてしまう。ぶっ飛ばされたらやり返さなければ一試合中ずっとぶっ飛ばされ続ける。何度でもタッチダウンを与えてしまう。より強く、より早く。チーム内のライバルより、ライバル校の対面より。より強く、より速くならないと生き残れないことを知っている。頼れるのが自らの肉体だけだということを知っている。

7人のフットボーラーたちは学生独特の呑気さを持ったどこにでもいる体育会のアホどもだった。それでも彼らが眩しくてしかたがなかった。せいぜいベルトの穴くらいとしか戦えない自分の肉体をまとう皮下脂肪を鑑み、肉体を限界まで闘わせ輝ける短い季節に憧憬した。

2010-08-01

endless summer



八月に入りこちらグアムでは町に"back to school sale!!"の文言が徐々に目立ってきている。レストランも夏休み最後、海外旅行から帰ってきたり、グアムへの里帰りが終わったりする人が家族で食事にでて賑わい夏の終わり感満載。

でも日本のメディアを見ると「夏本番!!」という論調になってきている。夏のはじめと終わりの不協和音。

まあ、そうはいってもグアムでは夏が終わることなんてないんだけれども。